グローバル経営の極北

グローバル経営を考える「素材」を提供します

グローバル企業のマネージャーは「経営陣」である

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僕が前職の米グローバル企業ではじめて管理職になった時に感じたのは、会社から期待されるステージが一つ上がったなということだった。もっと言うと、マネージャーになるということは経営陣の一人になる、ということだと感じた。

これには「外資系」にいる人からも反論があるだろう。マネージャーが経営陣?たかがマネージャーでしょ、外資系のトップダウンの仕組み知ってるの?と。

そういった側面はある。しかし、経営の仕組みという観点から考えれば、マネージャーへの期待値は間違いなく「経営陣」としてである。

グローバル企業でマネージャーに求められるのは、「限られたリソース(ヒト、モノ、カネ)を適切な意思決定をもとに、いかに有効活用して成果を出すか」という点につきる。マネージャーは、この一連の行為の「責任者」であり、「具体的な成果」を出すことが強く求められる。

チームの規模や責任の重さにもちろん違いはあるけれど、これは本質的には「経営者」と同じ責任を担っていると言える。経営者も限られた資本をもとに、開発、生産、販売、アフターサービス、などバリューチェーンのどこに投資するかを考え配分を決断する。人を雇用し、動機づけ、育てる。組織を設計し生産性が最大化するよう工夫し続ける。そして、経営の成果は株主をはじめとした外部のステークホルダーに評価される。

マネージャーがすべきことも同じだ。チームのミッションを定め、そこから導かれるアクションや役割を定義する。それをもとにチームメンバーをはじめとした手持ちのリソース(ヒト、モノ、カネ)をどこに配分すればチームの成果が最大化するか考えて決断する。メンバーに寄り添って、彼等に適切な目標を与え、課題があればその解決をサポートし、成果をきちんと計測・フィードバックする。そして、チームとしての成果は事業部長をはじめとしたステークホルダーに評価される。

グローバル企業では数多くの社内「レビュー」がある。営業だけでなくマーケティング、ファイナンスなどそれぞれの経営機能について、成果は定められたターゲットに達しているか、合意されたアクションの進捗はどうか、今後の方向性は正しく検討・定義されているか、などについて上級管理職が厳しく評価する。

マネージャーになれば、こうしたレビューに責任者として参加しなければならない。自分のチームが求められている成果を出しているか、向かっている方向は正しいか、などを厳しく追求される。

これはまさに企業の経営者が株主から求められることと同じだ。グローバル企業はこのことをよく理解しており、マネージャーに対しても同じレベルでのガバナンスやアカウンタビリティを求める形で経営モデルを設計している。

これが冒頭の「マネージャーは経営陣の一人」という僕の感慨に繋がる。この設計がグローバル企業の経営力を支えており、それは多様な論点を含むので、今後も触れていきたいと思う。

noteでマガジン「デジタル時代の経営を読み解く」をはじめました

noteで定期購読のマガジンをはじめました!「デジタル時代の経営を読み解く」というタイトルで、デジタル化の進展で大きな影響を受ける「経営」について論じていきます。ブログ、ツイッターと連動する形で、そこでの話題や論点をさらに深掘りしていくことを考えています。

第一回の記事は以下です。Adobeの事業変革は、コア事業のビジネスモデル転換、顧客志向の経営、買収の活用、ウォールストリートとの対話、など現代の経営で肝となる要素が詰まっています。ぜひ読んでみてください。

今後は、取り急ぎ以下のようなテーマで週1-2回の更新を考えています。

◆「中の人」が語るハイテクビジネス最前線
- Adobeのハーバード・ビジネススクール ケーススタディからクラウド時代の経営変革を考える
- Salesforce、Adobe、Tableau、Workday 群雄割拠のSaaS戦国時代はどうなるか?
- クラウド時代の「顧客志向」とはなにか?建前無しに顧客と向き合う時代
- IBMの経営変革を追う ガースナー改革から遠く離れて
- ハイテク各社の決算を読み解く なにが勝負を分けるのか?


◆売上数千億円のコンサル・SIビジネス経営変革のドラマ
- 本当の経営課題はなんなのか?COOはNYからコンサルタントを呼び寄せた。
- なにはなくとも稼働率 コンサルビジネスの基本のキ
- いまさらCOBOL? スキル開発の重要性
- 日本のシステム開発、多重請負の宿痾
- いまさら聞けないオフショア開発の勘所
- コンサルビジネスを売る困難 パートナーってなにしてんだよ!
- デジタル時代のコンサルビジネスはどうなるのか?

これ以外にも、日系メーカー海外営業、外資コンサル、外資経営管理と渡り歩いてく中で経験した失敗や挫折など、個人的な経験談についても書いていければと思います。

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サイボウズ「ちゃんと赤字になった」の背景とは?

サイボウズの直近の決算は「赤字」だった。青野社長の「ちゃんと赤字になった」というコメントの背景に触れたい。

重要なポイントは、クラウドのソフトウェア企業の多くは「赤字」決算を続けているということ。以下米の代表的なクラウドソフトウェアの企業の決算からその点を見ていく。

まずはSaaS市場を切り開いたCRMの雄、Salesforce。以下示すように、直近3年間のNet Incomeは全て赤字。一方で売上はYonY +20-30%で成長しており、2016年度の売上は既に67億ドルと独立のソフトウェア企業としてはきわめて大きい数字まで成長している。

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ソフトウェア企業はきわめて高い利益率を誇るのになぜ赤字なのか?以下示すように、R&DとSG&A(販売費及び一般管理費)の売上比率がきわめて大きいことがその理由。Salesforceの場合は、特にSG&A比率が高く、人員増とマーケティング強化に投資し続けていることが伺える。

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 一方でSaaSモデルは月額課金が中心で、キャッシュフローが安定して稼げるのが財務的なポイント。Salesforceの営業キャッシュフローを以下見てみると、YoY +30%後半の数字を続けており、売上増以上の成長を見せている。安定してキャッシュを稼ぐビジネスモデルをもとに、R&Dや従業員、マーケティングなどに大きく投資してさらなる成長を生み出していくサイクルをうまく続けていることが伺える。

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次に人事領域のSaaSでトップを走るWorkday。こちらも過去3年は全てNet Incomeが赤字。一方で売上はYoY +70%のレベルときわめて高い成長率を維持している。

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次にR&DとSG&Aの売上比率。こちらはR&D比率が38-40%と突出して高い。商品的には成熟を見せてきたSalesforceに比べて、まだまだ商品開発に大きく投資していることが伺える。

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以上Salesforce, Workdayの決算から青野社長の発言の背景が読み取れると思う。決算発表説明会の中で青野社長はこう話しており、クラウド分野への積極的な投資を行ったことに触れている。

「(当期純利益を)-8億円と設定したことで、思い切ってクラウドに投資した。長期的にみると、十分な利益」とした。同社は昨年、積極的にクラウド関連サービスの広告宣伝を行い、前年比2億6600万円増の17億4600万円を広告費に投下している。

 

電通の海外&デジタル事業強化は着々と進行中

電通の新たな買収(カナダのデータ分析のコンサルティング会社)が発表されていた。電通は海外事業&デジタル事業強化に舵を切っている。

そこで、直近の中期経営計画を見てみる。

◆中期経営計画 “Dentsu 2017 and Beyond” これまでの進捗と今後の展望
http://www.dentsu.co.jp/ir/data/pdf/201512EAPREJ2.pdf

海外事業比率は54.3%と既に5割を越えている。デジタル比率も34%と順調な伸び。

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買収をてこに2012年に15%だった海外事業比率を2015年で54%まで急速に高めた。この売上拡大は英イージスの買収が大きく、2012年に4000億円で買収している。

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イージス買収以降も海外のM&Aを継続しており、2013年4月以降で合計£760Mで76件、デジタル比率43%となっており、1件あたり£10Mと比較的小さめの買収をデジタル領域で行っていることがわかる。これはグローバル企業の買収手法で一般的。

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買収先企業は以下の様なものがあり、上記したようにデジタルマーケティング領域の各分野を網羅しようとしているのがわかる。

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オペレーティング・マージン(調整後営業利益÷売上総利益)がグローバルのメガ・エージェントに比べ高いことも強調されている。

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結果として株価は、ここ1年は市場の調整局面に引きずられているものの、5年軸でみると堅調に推移しており、2012年に2000円台だった株価は、直近5500円のレベルまで上がっている。

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「ムーアの法則」後はどうなるか?- エコノミスト「コンピューティングの未来」

今週のエコノミストの巻頭記事は「コンピューティングの未来」について。いま起きている変化について簡潔にまとめられている。

ポイントはムーアの法則がいよいよあてはまらなくなってきたかも、という点。今後も演算能力の拡大は続くけれど、今までのようなペースでの拡大は難しそう。だが、3つの新たなトレンドが台頭してきており、これらがコンピューティングの未来を規定しそうとこの記事は論じる。

1つ目はソフトウェア。

GoogleのAlphaGoがディープラーニングの活用で囲碁のトップ棋士に勝利を収めたように、ソフトウェアのアルゴリズムの活用がハードウェアの限界をカバーしていく。

2つ目はクラウド。

クラウド技術の進展が、「スタンドアローン」型で見られたようなリソース制約を解消しつつあり、スマートフォン、GPS、モーションセンサーといったデバイスから入手できる情報と組み合わせて、ネットワーク全体での性能は拡大していく。

3つ目はアーキテクチャ。

半導体が、クラウドコンピューティング、ニューラルネットワークといった特定の用途に応じて設計されるようになり、しかもそれはクラウド側に実装される。よって、個別のデバイスのパフォーマンスに依拠するモデルから脱却していく。

では、これらの変化の影響はどうなるか?

 企業はPCの更新頻度を落としたり、自前のメールサーバーを持ったりしなくなっており、今後はクラウドへの「コネクティビティ」がキーとなる。

ハイテク業界にとっては、さらなるクラウドへの投資が鍵となるため、Amazon、Google、Microsoft, Alibaba, Baidu, Tencentといった現在市場を占有しているプレイヤーが強く、今後も彼等がスタートアップを飲み込みながら力を増していく。

保育園問題をコンサル経営の視点から考える

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こんな記事が話題になっていた。

自治体が株式会社の参入を渋る、という構図自体は大きな課題だが、コンサル事業の経営を見ている身からすると、保育事業は民間事業者の参入を促しても構造的に難しい側面を抱えているのではないかと感じている。

保育園の収入モデルは基本的には毎月の固定の保育料が中心となっている。新生児を対象としているため受付可能な人数には限界があり、事業規模を大きくすることは難しい。よって、売上を大きくしていくことは難しく、結果として利益を出すには原価の大半を占める人件費を低く抑えることが主要な選択肢になる。しかし、給与を低く抑えることは、保育士のモチベーション低下や高い離職率に繋がり、それはサービスレベルの低下や人手不足を招いてしまう。

これはサービスビジネスというビジネスモデルが共通に抱える課題と言える。「人」自身がサービスを提供しており、労務費が原価の大半を占めているため、製造業で継続的に行われるような生産性改善や原価低減がなかなか難しい。

どういうことかというと、1点目は、人の生産性は急にあがらない、ということ。製造業のように、新しい設備投資をすることで生産性が一気に高まる、というようなことは起きない。もちろん実務経験や新しいスキル習得で生産性は徐々にあがっていくが、それを経営的にコントロールすることは難易度が高いし、仮に上がったとしてもその上昇の幅はさほど大きくない。

2点目は、給与は下げにくい、ということ。上記したようにサービスビジネスの原価は労務費が多くを占める。がゆえに、原価低減しようにも、従業員の給与くらいしか大きな費用項目がない(コンサル・ITビジネスでは「外注費」が大きな費用となっているがここでは一旦議論から外しておく)。しかし、誰もが分かるように、従業員の給与を下げる、というのは経営的には最後の手段となる。コンサル・ITビジネスでも、事業が不振になると給与削減やリストラを実施するが、それを実施すると従業員のモチベーションは著しく下がり、結果として顧客向けのサービスレベルが下がるという負のスパイラルにはいってしまう。

保育園の話に戻ると、上記のような構造に加えて、保育園は一定規模の「土地」が必要であることがさらに問題を難しくする。市場原理を導入して民間の参入を促しても、例えば東京都内だと地価が高く、場所の確保も難しいという制約があるため歪みが生じてしまう。実際のところ都内では、区民の負担率が低い認可保育園は「園庭付き+ベテランの経験豊富な保育士」という高いレベルのサービスを提供している一方で、月15万円以上かかる認証外保育園は「マンションの一室+経験が浅い保育士」と、区民の負担金額とサービスレベルが逆になっている例が多い。

よってフローレンスの駒崎氏などが指摘するように政府補助の増額というのは有力な選択肢であろうと思う。もっといえば保育の公立化を進めること。一方で、政策的にこれを実現するのは、この低成長の時代にはかなり難しいことはわかっているのだが。。

 

レビューも見ずに転職するの?

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レストランを探すときに食べログをはじめとしたレビューサイトを確認するのは既に日常になっているが、VorkersGlassdoorといった従業員レビューのサイトも転職においてかなり「使える」ものになってきている。

転職の難しさは、事前に得られる情報が限定的であることだった。入社前に会うことのできる社員は、基本的に面接官に限られる。事前に所属部門の社員に会うことも可能な場合は多いが、そこから得られる情報はどうしても表層的なものになる。給与モデル、昇進の仕組み、社風など事前に確認しておきたい情報はなかなか得られなかった。

こういった情報の非対称を緩和してくれるのが従業員レビューサイトになる。レビューは、第三者でなくて従業員本人が書き込む。そのことによって、第三者の視点や思惑がノイズとして入り込むことを防ぎ、実態に近い情報を得ることが可能になる。

もちろん限界はある。レビューはあくまで一部の人の主観に過ぎない、とか、悪意のある人が偽装して誤った情報を書き込む可能性がある、といった批判はもっともだ。一方で、食べログと同様に一定数以上のレビューが揃えばそこには必ず「傾向」がうまれる。その傾向を自分で分析、解釈して意思決定できるかがポイントになってくる。

例えば、レストラン選びもいくつかの成功と失敗を繰り返し、経験を積んでいけば細かく食べログのレビューを読まなくても、総合点や写真の雰囲気だけさらっと確認するだけで良し悪しをある程度判定できたりする。それは自分の好みや評価軸が経験の積み重ねによって養われてくるからと言える。

会社選びも同じで、まずはレビューサイトの情報をきちんと読み込んで、そこから浮かび上がってくる傾向をつかんだり、実際転職で苦い思いしたり、といった経験を積み重ねることによって、自分なりの評価軸が作られてくる。

さらに大事なのは、レビューの「傾向」がビジネスモデルや経営の仕組みという「構造」からきていることを理解できるかという点。例えば、中核事業の利益率が高ければ当然給与や各種福利厚生は期待できるし、逆に成熟している、もしくは、利益率が低い事業が中心ならば、当然従業員の待遇に期待することは難しくなる。

例えば僕が担当しているコンサルティング事業。このビジネスの原価の大半は労務費、つまりコンサルタントに支払う給与やインセンティブの支払いが大半を占める。が故に、ビジネス環境が悪化し稼働率が低下すれば、給与や人の削減といったネガティブな施策を打たざるを得ない。

こうした事業の「構造」を踏まえたうえで、各レビューの意味するところをうまく咀嚼できるならば、転職においてこうしたレビューサイトは大きな助けになるだろう。

データが導く新しい「人事」の姿

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いま僕が在籍している米企業では毎年従業員サーベイを実施している。最近その結果を見ることができたのだけれど、とても興味深かった。外部ベンダーのクラウドのソフトウェアを使って、エンゲージメントの深さ、マネジメントの巧拙、企業戦略の周知、オフィス環境など多様な項目について調査が実施され、全社、日本法人、事業部門、そして各マネージャーごとの評点を簡単に知ることができるし、過去の調査との比較も容易。また、統計分析をもとに、企業業績にとって重要となる改善項目も示唆される。

今までこうした「人事」の領域の弱点はとにかく「定量データ」が整備されていないことだった。そして、その影響として、人事部門にデータを適切に分析し、それをもとに実行する人材の層もなかなか育っていなかった。また、経営層も、従業員こそが重要です、とお題目を掲げる人は多かったが、実際のところ(特に欧米企業では)、人材を「コスト」と捉えて、ファイナンスの視点から従業員数や労務費をコントロールすることが経営における「人事」のポイントだったのが実情だろう。

しかし、こうした課題は徐々に解消されつつある。一番有名なのはやはりGoogleで、「How Google Works」「Work Rules」で詳述されたように、Googleは人事部門にも博士課程をもったデータサイエンティストを配置し、最適な採用、マネジメント、福利厚生などをデータをもとに改善、実行する仕組みを作り上げた。Googleの経営が優れた「人材」をもとに作られてきたことは疑いようがなく、その具体的な成果がそういったデータをもとにした「人事」によって支えられていことのインパクトは大きい。

こうしたGoogleの成功に刺激される形で、この記事でも触れたように、ハイテクを中心に米企業では、従業員のエンゲージメントやコミュニケーションが組織の生産性を高める、という考え方を経営に応用していくことが大きなトレンドになってきている。

このトレンドの背景として2点あげたい。1点目は、上記したように人材を「コスト」と考えて、業績好調時には積極採用、不調時にはリストラ、と主に財務面の理由で従業員数をコントロールしたり、従業員をパフォーマンスで階層化して下位の要員をリストラする、といった欧米企業の過去の経営手法への反省がある。

このやり方だと、平均的な従業員はリストラ対象となることを恐れて自分の役割範囲をできるだけ小さくしようとするし、トップパフォーマーは業績を出して高い報酬を得ようと利己的な行動に走りがちになる。結果として従業員間のコミュニケーションは淀みはじめ、従業員のモチベーションやエンゲージメントのレベルも下がり、組織全体の生産性に負の影響をもたらしてくる。

2点目は欧米企業がここ20年で急速に進めてきた業務の標準化・効率化およびオフショア化がある。投資家からのプレッシャーが強まる中、コスト削減を主眼として欧米企業は業務を標準化、ERPを導入し、その業務をインドや中国などにアウトソースするオフショア化を急速に進めた。またIT技術の普及は在宅勤務を加速させ、僕のいた米IT企業ではアメリカの社員の70%が在宅勤務だった。

この変化はコスト削減に繋がったし、世界市場で標準化された経営をすることに寄与した。一方で従業員間のコミュニケーションはどうしても弱くなり、例えばプロジェクトの始まりから終わりまで一度も会わない、ということも珍しくなくなった。結果、会社への帰属意識やエンゲージメントのレベルは下がっていった。

この2点に代表されるような課題が欧米大企業を中心に顕在化していたところに、Googleが登場した。彼等は社員をオフィスに集め、無料食堂はじめとした福利厚生を整備し、従業員間の対面コミュニケーションを重視して、大きな成功を収める。

彼等の成功はシリコンバレーのハイテク企業の成功方程式になり、各社は競うように「従業員重視」の施策を打ち出した。ここにクラウド技術の進展が重なり、ソフトウェアによる可視化が進むと、冒頭にあげたように、旧来の「人事」がすくいきれていなかった、データをもとにした、従業員のエンゲージメントやコミュニケーションに焦点を合わせる新しい形の「人事」機能が姿を見せはじめている。

この変化は、人事もデータを使うようになりました、とか、単に企業が従業員のことをもっと考えるようになりました、というレベルに留まらない本質的な変化を経営にもたらすと個人的には考えている。ネットによる情報のオープン化、可視化、民主化などが進展することで、小売業を中心に「顧客」の声が強くなり、いまや企業や流通の論理だけでビジネスを進めることはきわめて難しくなってきている。そして、経営においてもこれと同じ構造の変化が起こりうるのではないか、というのが僕の仮説である。

この点については、別途論じてみたいと思う(といいつつ、お前なかなか書かないだろ、とのツッコミが聞こえてきそうですが、、)。

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意思決定することは「仕事」です

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この記事(なぜグローバル企業の経営陣は「定時退社」するのか?)はありがたいことに多くの人に読んでもらっており、PVは60,000を越えて、Facebookのシェアも5716までいった。

この記事で言いたかったことの一つが、「意思決定は仕事である」ということ。前掲の記事では「定時退社」という言葉に反応する人が結構いて「定時に帰るマネージャーは信用できない」とか「家に帰って仕事してんだろう」みたいなコメントが散見された。これを見て思ったのは、「意思決定は仕事である」というのをなかなか信じ切れない人が多いんだなということ。

こう思っていろいろ検索していたら、こんな記事を見つけた。バブソン大学の教授のHarvard Business Reviewのインタビューをまとめたものだ。

重大な意思決定を迫られたマネジャーが、リソースにも知識にも恵まれていながら、賢明とはいえない決断を下すことが多いのはなぜだろうか。理由の大部分は、意思決定に対する認識が間違っていることにある。彼らは主要な意思決定を、組織の仕事を前進させるためにすべき選択のように考えている。しかし本来、意思決定そのものが仕事なのだ。

これは本当に重要なポイントで、多くのマネージャーは、意思決定を自分の重要な仕事であるとはなかなか信じ切れない。がゆえに「手を動かす」仕事に自分も長時間従事することで成果を出そうとする。

しかし、なぜ企業がマネージャーという「中間管理職」を置いているのかと言えば、それはまさに意思決定することを彼等に望んでいるからに他ならない。もっと言えば、マネージャーに「預けている」リソース(メンバーやその他経営資源)から、適切な意思決定の連鎖で、最大限の投資対効果を引き出すことを期待していると言える。

なので、マネージャー自身が「現場」の仕事に忙殺されていては、マネージャーというポジションを置く経営的な意味がなくなってしまう。そもそも、意思決定というのは、それ自体が非常に負荷のかかる「重い」仕事のはずである。

例えば、僕が「師匠」と思っている前職のCOOは、毎日6時には帰宅していたけれど、まさに24時間考えて、意思決定し続けている人だった。いつも頭の中で経営の最適解は何かを考えていて、その仮説のエビデンスが欲しい時に昼夜を問わず僕にメールをしてきた。

毎週土曜日の朝6時ごろに彼が欲しいデータや仮説のリストが僕に送られてきたのを思い出す。朝起きると次の1週間に向けて必要なアクションが彼の頭に浮かぶのだろう。そのリクエストからは、彼の深い経営的洞察や仮説がいつも透けて見えてきて、彼の意思決定を助けるデータや洞察をどうやったら提供できるかと考えるのは、苦労も多かったけれど、楽しい作業だった。

さらに、こちらが提供したデータや洞察によって、彼が素早く意思決定し、それが数千億円規模のビジネスを直接に動かしていくのは驚きだったし、「経営」の仕事というのが本当にあるのだ、と気づかせてくれたのも彼のその意思決定の見事さだった。

日系企業、外資系企業と僕は3社を渡り歩いてきたけれど、そのどちらも優れた管理職や経営陣は意思決定することに焦点を合わせていた。質の高い意思決定をすることは、経営を良くする、という側面だけでなく、ヒト、モノ、カネをチームに適切に呼びこむことで、メンバーも幸せにすることができる。「意思決定は仕事である」という認識がもっと広がればと思っている。

 

ジャッジメントコール 決断をめぐる12の物語

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海外事業のマネジメントに苦しむ日本企業

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楽天が最新の決算で電子書籍のKoboをはじめとした海外事業の減損を行ったことが話題になっていた。

ネットでは、海外事業の苦戦を「英語公用語」化と結びつけて揶揄する人も多くいたけれど、当然ながらそれは本質的な部分ではない。

僕は楽天の事業領域には明るくないので、その観点からではなく、日本とその他の国(主に欧米)とのマネジメントスタイルのギャップという観点から考察してみたい。

まず、濱口桂一郎氏の「ジョブ型」と「メンバーシップ型」という、欧米と日本の雇用形態の違いをうまく整理した概念を紹介する。

一般的に欧米企業は「ジョブ型」の雇用となっている。ここでは「仕事に人をはりつける」。職務範囲は明確で職能ごとに役割定義がなされる。雇用は「必要な仕事が定義された時」に行われる。

一方で日本企業は「メンバーシップ型」の雇用。ここでは「人に仕事をはりつける」。職務範囲は曖昧で属人的。長期雇用が基本で様々な職能をローテーションすることも多い。

仕事に人がはりつく欧米企業型の場合、経営マネジメントはあくまでその「仕事」が想定通りに進捗し、成果を出しているかに向かう。なので、KPI設定→ダッシュボード作成→定期的な経営レビュー、といった手順で想定どおりの成果が出ているかを検証していく。もしその仕事を担当している「人」が成果を出していなければ、その人を外すかクビにして他の人を探す。ポイントは、このモデルでは焦点があくまで「仕事」に向かうところ。

一方で、日本のマネジメントはこの点が曖昧になる。「人に仕事をはりつける」ので、マネジメントの視線はまずその「人」が「うまくやっているか」に向かう。なので、想定通りの成果が出ていなければ、改善すべきはその「人」のパフォーマンスとなる。ここは上記した欧米企業と大きく異なる点。

こうした考察を踏まえ、楽天の話に戻ろう。社員による企業評価サイトであるGlassdoorの楽天のレビューを見てみると、彼等が抱えるマネジメントの課題が浮き彫りになってくる。

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Poorly managed by Japanese executives that have no understanding of American business or customer behavior. The SOP is to set targets that are unachievable as a way to save money on commission payouts. All the VPs and Directors were promoted based on sucking up rather than verifiable performance. Morale is extremely low and the employee turn over is high.

Loosen the control of the Japan parent company and hire executives with experience in this market.

以上のように総合評価は2.7と低く、レビューのコメントにも厳しいものが並ぶ。レビューの評価やコメントを一般化することは避けるべきだけれど、本社の「日本人」のマネジメントが稚拙、というコメントは他にも多く散見される。あくまで推測になってしまうが、この背景に、上記した「ジョブ型」と「メンバーシップ型」の違いと、それに起因するマネジメント手法の違いをみることは不自然ではないだろう。

強調したいのは、日本的「メンバーシップ型」の雇用やそれに紐づくマネジメントモデルが劣っているわけでないということ。例えば、日本が依然強い競争力を誇っている素材や部品産業など、長期に渡るR&Dに投資する必要がある産業では、日本型の長期雇用モデルは力を発揮するだろう。

一方で、楽天が足場を置いているインターネット・ハイテク業界のように、産業構造の変化が激しく、必要とされるスキルの変遷も激しい場合は、やはり「ジョブ型」が適切になってくる。今後の成長産業でどう日本企業が足場を築いていくか、という課題は、このマネジメントモデルの違いを考慮することが大切になる。

日本企業のグローバル経営モデルとしては、日本本社と別に海外事業を統括する会社をジュネーブにおいているJTのモデルが参考になると考えており、その点についてはまた改めて別記事で論じたい。

若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (中公新書ラクレ)

若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (中公新書ラクレ)

 

 

英語の「発音」が決定的に重要な理由

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発音のコンプレックス

日本の英語教育ではあまり発音が重要視されない。ただ、英語を実際に使って話す上では発音がきわめて重要になってくる。僕も、発音をきちんと学生時代に習得できていなかったがゆえに、とてもとても苦労してきた。

まず、この記事で書いたように、大学時代のアメリカへの交換留学での苦労。大学の英会話の授業ではそれなりに話せていたつもりだったが、実際アメリカに行ってみるとこちらの言うことが全く通じない。同級生のアメリカ人が、こちらが話をすると困惑したり、バカにしたような顔をするのを見るのはとてもしんどかった。

また、お店はさらにきつかった。特にサブウェイなどのサンドイッチ店は恐怖で、トマト、レタス、ピクルスなどなど、どれを発音しても"What?"と言われるのはしんどかった。なので、メンタルの弱い僕は"All(全部入り)"といって無意味に具の多いサンドイッチを食べざるを得なかった。。

留学の一年でなんとか会話力はあがり、発音の授業があったので発音も少しはまともになった。さらに新卒で入ったメーカーで欧米、アジア、中東と世界中の人と海外営業として仕事したことで、英語を話すことにはまったく物怖じしなくなった。一方で、発音への苦手意識は消えず、それはコンプレックス的なものとして残った。

なぜ発音が重要か

そもそも発音はなぜ大事なのだろうか?

まず言えるのは、ある言語の母音や子音が正しく発声されないと、聞き手(特にネイティブ)のストレスがとても高いこと。結果、上記した僕の留学時のように、こちらの話に耳を傾けてくれなくなる。

誤った発音がもたらすストレスについては、僕が上海駐在している時に具体的に体験できた。駐在先はIT開発のオフショア拠点。なので、数千人規模で日本語を話せる中国人がいた。その日本語レベルは当然様々だが、基礎の発音がきちんとしていない人の話を聞くのはかなりストレスが溜まった。

まず、端的に言って、何を言っているかわからない。もしくは、発音できていない音を含む文章が消える。なので、こちらで何を言おうとしているのかを補う必要が出てくる。これはとてもストレスだった。

でも、例えばインド人の英語ってどうなの?という人がいるかもしれない。

インド人の英語は確かに「訛り」が強い。けれど、「母国語」として英語の音声上の「肝」の部分はきちんと習得している。つまり、彼等の英語は、英米のネイティブからすると「方言」という形になるだろうと思う。

それに対して日本では、中高で正しい発音をきちんと学ぶ機会はほとんど無い。特に学習の初期で母音や子音の正しい発音を学ぶ機会がないので、我流(多くはカタカナ読み)の発音のままになっている人がとても多い。僕もまさにこうした「我流」の発音で苦労した一人だ。

ヘタクソな発音の弊害

でもでも、ブロークンでもとにかく話すことが大事じゃないの?と言う人もいるだろう。

それは一理ある。日本人はただでさえ「内気」な傾向の強い民族なので、その上に発音を気にし過ぎると、一層会話に入れなくなってしまうだろう。

ただ、発音や文法を無視した英語を話すことに慣れてしまうと、長期的には弊害が大きい。初級レベルでは許容される間違いも、実際に英語を使って「ガチンコ」で仕事する際には、上述した僕のオフショア開発拠点での経験のように、正しく言語を使いこなせない人が深い信頼を得るのは難しい。

例えば日本企業の本社と海外法人の関係、こちらが顧客の場合、など力関係によってはブロークンの英語でも許容される場合はあるが、そういった「日本人枠」に留まる限りなかなか国際的に深いレベルでの仕事には入り込んでいけない。

また、もう一つ重要な点は、正しい発音を覚えないとリスニング力があるレベル以上伸びなくなるということ。よく言われるように「正しく発音できない音は聞き取ることができない」。これは本当で、僕も発音の矯正を進めると、今まできちんと聞こえなかった母音や子音がクリアに聞こえるようになった。

ではどう勉強するか

以上だいぶ長くなったけど、最後に僕がどんな勉強をしてきたかをまとめたい。

まず、5年ほど前に発音矯正の「ジングルズ」に1年ほど通っていた。校長はかなり癖のある人だけれど、方法論はきちんと体系化されているし、使われるテキストの内容も段階的に英語の「肝」となる発音を一つ一つ繰り返し学べるようによく構成されていた。講師はジングルズを通じて発音矯正した「日本人」で、よく訓練されているし、日本人がどうやって発音を矯正できるか、というのを実地で体験してきた人達なので、ネイティブに学ぶよりも効果的だろうと思う。個人的には、SやTといった子音の重要性を徹底的に叩き込んでくれたことに感謝している。ここで学んだおかげで、それ以降ネイティブがこれらの子音を強く発音していることに気づくことができた。

次にスマートフォンのアプリでかなり有名なReal英会話。このアプリでは、ネイティブによく使われる表現をiPhoneのマイクを使ってしゃべると、その発音が正しいかどうか判定してくれる「発音練習」という機能がある。これはとても良い。選ばれている表現はどれも日常でよく使うこなれたものだし、その場で発音が正しいか判定してくれるのはありがたい。

次にスマートフォンの音声入力機能(僕はiPhoneを使っている)も有効。メモ帳を開いて、音声入力でなにか英語をしゃべると、その発音に応じて英語の文章がメモ帳に表示されるので、自分の発音が正しければ正しい英語の文章が表示される。これを使うと、自分がどの音に弱点があるかをすぐ確かめられる。さらに、iPhoneの「ボイスメモ」もよく使う。僕は、本社とのレビューの前などに、話そうとしている内容を録音して、発音だけでなく使っている表現が変でないかを確かめたりしている。これもとても効果的。

発音に関する本はたくさんあるけど、この「超低速メソッド」と謳った本は結構よかった。母音および子音それぞれについて一つ一つ学んでいけるので、ジングルズで学んだことを改めて整理する上で役立った。

超低速メソッド英語発音トレーニング (CDブック)

超低速メソッド英語発音トレーニング (CDブック)

 

 英語の勉強に終わりはない。特に最初の基礎でつまづくと後々取り戻すのは本当に大変。悔しいなあと思いつつ、今日もコツコツ勉強するのだった。今後もそうした僕の経験について書いていこうと思う。

「決められない」シャープの迷走を笑えない理由

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シャープの経営が迷走している。産業革新機構による支援でほぼ決まりとなっていた状況から、鴻海が7,000億円と機構案を大きく上回る金額を提示し、一点鴻海案が有力と噂されている。こうした事態に対して多くの人がシャープの経営の「稚拙」さを指摘(揶揄)し、決断できない経営陣を批判している。

しかし、このシャープのケースは、個別企業の経営陣の稚拙さ、という観点でなく、日本企業がはまりがちな構造的な観点から捉えるべき課題と考えている。

その点で、「戦略不全の因果」などの著作で有名な三品和広氏(神戸大学大学院教授)の論考が参考になる。三品氏は液晶技術で栄華を誇った「かつてのシャープ」と企業価値が大きく毀損してしまった「いまのシャープ」をみな混同していると指摘する。そして、「いまのシャープ」は既に技術的にも守るべきものはなく、現実は直視すべきと断言する。そして、雇用を守るため、といったお題目で経営破綻を国や銀行が救済する構造を「モラルハザード」として批判している。

この指摘は重要だ。JALや三洋電機といった過去の事例、そして今回のシャープの事例においても、国や銀行が延命策を図るだろうという「予期」のもとに経営者が意思決定してしまう(もしくは、しなくなってしまう)構造こそが日本の企業統治における大きな課題だからだ。

この「モラルハザード」の構造の問題は、経営陣が明確な意思決定せずにずるずると結論を先延ばしすることにある。最終的に国や銀行による救済が予期されているから、状況が悪化し続けていても、リストラや資産売却を含む抜本的な構造改革やコア事業への集中・強化などの必要な施策を「短期間」で一気に進めるインセンティブが失われる。結果として、構造改革らしきものはなされるものの、それは長期にかつ小出しにして行われるため、抜本的な課題の解決には繋がらない。

こうした「モラルハザード」の状況とあわせてポイントとなるのは「企業は永続させなければならない」という日本のビジネス界に特に強く共有されている信念だろう。日本には操業100年を超える企業が26,000社あり、200年を超える企業も3,146社。世界の200年を超える企業の半数以上が日本にあることになる。こうした歴史が「企業はずっと続いていくもの」という文化を生み出し、さらにそれを補完する形で、終身雇用モデルが依然として多くの日本企業で維持されている。

こうした信念は必ずしも悪いわけではなく、その企業存続への強い意志が老舗企業を支えている例も多い。一方で、それは危機下において経営陣が「フリーズ」してしまう状況を生み出すことがある。それはどういうことか?

危機下における再建は当然ながら不確定要素が多く、一歩打ち手を間違えれば企業が倒産したり、他社に吸収されるリスクを伴う。再建をリードする経営陣はこうした倒産や事業譲渡のリスクを正しく捉えながらも、手を止めること無くアクションし続ける必要があるが、企業の「永続」を強く意識してしまうと、その不確定要素の大きさと企業を自分の代で「潰してしまう」かもしれないという恐怖が彼等の足を止める。シャープに限らず過去にも外野からすると「なぜ決断できないんだ」と感じる事例は日本で多く見られてきたが、その背景にこうした構造を見るのは不自然ではないだろう。

シャープがこれだけ苦境に陥りながらも「決定できない」経営陣を安易に批判する論者はとても多いが、彼等は経営の意思決定というものが常に「主体的」になされうるという素朴な前提を信じすぎているように思う。しかし、上述したように経営の意思決定は構造や慣習(文化)にかなりの部分を規定されている。なので「決定したくても決定できない」という構造に不振企業ほどはまっていく、という視点は改めて重要と言えよう。社外取締役の導入をはじめ日本でも企業統治の変革は続けられているが、こうした「構造」に対する意識がもう少し強まらないと抜本的な解決には繋がらないのではと考えている。

例えば、アメリカでは取締役会の構成メンバーは社内からはCEO一人のみで、あとは全て社外からという企業が大半を占める。これは上記したような、経営陣が「決定できない」構造を回避するための一つの知恵と言えるのではと思う。少し長くなったので、この点はまた別の記事で論じてみたい。

戦略不全の論理―慢性的な低収益の病からどう抜け出すか

戦略不全の論理―慢性的な低収益の病からどう抜け出すか

 

 

戦略暴走

戦略暴走

 

 

JAL再生―高収益企業への転換

JAL再生―高収益企業への転換

 

 

稲盛和夫 最後の闘い―JAL再生にかけた経営者人生

稲盛和夫 最後の闘い―JAL再生にかけた経営者人生

 

 

今週のおすすめ本 - 2/7-14 「企業価値経営」「我が逃走」他

まだ一週間遅れですが、、2/7-14のおすすめ本です。

企業価値経営

企業価値経営

  • 作者: マッキンゼー・アンド・カンパニー,ティム・コラー,リチャード・ドッブス,ビル・ヒューイット,本田桂子,鈴木一功
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2012/08/31
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

 著名なマッキンゼー「企業価値評価」のダイジェスト版と言えるこの本。簡潔にエッセンスがまとまっていてとても良い。金融や会計の専門家でない現場のマネージャーには、頭の整理にとても役に立つ本と思う。

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 走ることについて書くことを通じて、村上春樹の人生や思想が語られるメモワール。素晴らしい作品で、一時はいつもカバンの中に入れていた。自由を求めること、個人として生きること、タフであること、など彼から学んだことは数知れない。

「ネットワーク経済」の法則―アトム型産業からビット型産業へ…変革期を生き抜く72の指針

「ネットワーク経済」の法則―アトム型産業からビット型産業へ…変革期を生き抜く72の指針

  • 作者: カールシャピロ,ハル・R.バリアン,Carl Shapiro,Hal R. Varian,千本倖生,宮本喜一
  • 出版社/メーカー: IDGコミュニケーションズ
  • 発売日: 1999/06
  • メディア: 単行本
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 既に古典だけれど、この本はやはり必読。ソフトウェアが席巻するいまのビジネスを本質的に理解するには最適。英語で読んだけどとてもわかり易かった。事例も豊富。著者のハル・ヴァリアンがGoogleで広告オークション設計に関わったのも有名。

戦略的思考の技術 ゲーム理論を実践する (中公新書)

戦略的思考の技術 ゲーム理論を実践する (中公新書)

 

 経済学を普段のビジネスに応用するのはなかなかハードルが高い。その点でゲーム理論の「実践」にフォーカスして分かりやすい事例とともに紐解いたこの本がやはり良書と思う。

決算書がスラスラわかる財務3表一体理解法 朝日新書

決算書がスラスラわかる財務3表一体理解法 朝日新書

 

 定番だけど、財務諸表を理解するための最初の一歩としてやはりこの本はよくできてると思う。同時に簿記も学ぶとさらに全体の構造をよく掴める。

決定版 英語シャドーイング

決定版 英語シャドーイング

 

 英語のシャドーイングは確かに効果あるように思うけど、なかなか良い参考書がない。いくつか試したなかだとこれが一番よいかも。CDに生徒が実際にシャドーイングする様子が入っててイメージ掴みやすい。

高収益事業の創り方(経営戦略の実戦(1))

高収益事業の創り方(経営戦略の実戦(1))

 

 「戦略不全の論理」の三品氏の日本の高収益企業のうち「成功」と「失敗」ケースの網羅的なケーススタディ分析。それぞれを貫く構造と法則も一般化されており、ちびちび読み進めていくと味わい深い。

我が逃走

我が逃走

 

 去年読んだ経営者本だとこれが一番面白かったかも。何かから逃げるために何かを作っていくというパラドクスがとっても「文学的」で、名著と思う。

進化と人間行動

進化と人間行動

 

 進化生物学を概観する教科書としてやはり良い本。進化論の基礎から、それが人間の文化や行動にどう影響しているかが、学説をきちんと踏まえて解説されているので、一度読んでおくと良いと思う。進化論まわりは竹内久美子のような極端な見解も多いので、、

リーダーシップとはなにかを教えてくれた部下のRさんのこと

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僕がマネージャーとしてまだまだ未熟だった頃、人事担当役員からこんな言葉をもらった。

「私はメンバーを自分の子供だと思ってるのよ」

その役員は非常にアグレッシブで、推進力のある人だったので、この言葉を聞いて意外な印象を持った。そして正直「子供だと思う、かあ」と実感がわかなかった。その当時自分に子供がいなかったこともあるけれど、それ以上にビジネスにおけるマネジメントでそういった(親子のような)関係を構築するのが最適解なのか、という疑問があったように思う。

マネージャーとしてどういったリーダーシップが最適なのか、これは本当に難しい問題で、単一の解があるわけではない。僕も毎日試行錯誤が続く。ただ、はじめてチームを持った時のメンバーだったRさんとの経験が、僕のリーダーシップへの理念みたいなものを作ってくれたと思う。

Rさんは、多様な「顔」を持った人だった。中高時代をアメリカで過ごし英語はネイティブレベル。米IT企業に新卒で入ると社内システム構築の部門でエンジニアとして経験を積んだ。身長は165cmくらいと低めで、目がぎょろっとしたオリエンタルな顔立ちで色白。性格は頑固。エンジニア気質とあわせて、一度甲高い声で話し始めると止まらなかった。

はっきり言うと、僕がマネージャーになったとき彼はうまくやれていなかった。SEとしての経験からレポーティングやシステムインフラ周りの仕事をやっていたが、とにかくコミュニケーションに難があった。仕事ぶりにエンジニアとしての緻密さはあるのだが、他のメンバーと協業しながら何かを前にすすめることがとにかく苦手だった。感情的なやりとりが多く見られ、彼を「異端視」する人も多かった。

そんな彼だったが、僕は彼が心のなかでどこか怯えているような印象を感じ取っていた。自分がどこに結びついているのかよくわからない不安な感じ。そこで、まずこんな感じの話をした。

「Rさん、うちの部門の仕事ってこうだよね、っていう狭い内輪の固定観念で仕事しちゃだめだよ。せっかくエンジニアとしての経験があるんだから、レポーティングを支えるシステム全体のアーキテクチャはどうなっているか、とか、レポーティングから論理的に導かれる経営的示唆はなにか、とか会社の外でも通用するレベルで仕事しよう」

「この部門にあと10年いることはないよね。だから、マネージャーが言うことじゃないかもしれないけど、Rさんには、この部門を「いま飛び出しても」どこでもやっていけるスキルをつけてほしい。部門内の「内輪の論理」じゃない、世間一般どこでも通用するスキルはなんなのかを一緒に考えようよ」

こういう話をしたら、彼の顔がはっきりと変わったのをよく覚えている。やはり彼は自分がどちらに向かえばいいのか悩んでいたのだ。

そこからの彼との仕事は楽しかった。本来は素直な性格だったので、こちらの厳しい要求にもエンジニアらしく緻密に応えようと奮闘してくれた。他のメンバーとのコミュニケーションにも積極的になった。一方で彼の弱点は、ふと気を抜いて責任のボールを手放してしまうところだった。なので、そういう兆候が見えた時は厳しく叱った。「外でも通用するプロになるって約束したよね」と。

年次評価のミーティングの時に彼にこの1年どうだったと聞いた。

「いままで、キャリアパスをどうすべきか、なんていう話をするマネージャーはいませんでした。なので、とても新鮮だったし、楽しくできました」

この言葉は僕がマネージャーになって以来、人からもらって一番嬉しかった言葉だ。僕自身も新米マネージャーで暗中模索だった時に、とにかくメンバーと向かい合うしかないな、と自分がこれだと思うやり方に素直に従ったのが良かったのだろう。

いま振り返ると、冒頭の人事役員の言葉は、自分の子供のようにメンバーを常に「庇護」のもとに置け、ということではなかったと気づく。子供はいつか親元を離れ、自立していく。マネージャーの役割も同じだろう。メンバーの側にいつも立ち、キャリアパスを一緒に考える。達成したことをきちんと評価して褒める。ただ、やるべきことをきちんとやれていない時は厳しく指導する。厳しい状況に追い込まれた時はギリギリまで自分でやれるよう見守りつつ、これ以上厳しいというところでは前面に出て守ってあげる。

こういうことを繰り返すうちに、メンバーは「自立」していく。これはまさに「子育て」が辿るプロセスと同じと言えるのではないだろうか。Rさんと共に歩んだ2年間のことを思い出しながら、これからも自分のメンバーの歩みを支え続けられればと思う。

ぼくの就活について '00年ロッキング・オン社新卒採用応募書類

ありがたいことに多くの方にブログを読んで頂いていて嬉しい限り。少し箸休め的に僕の就活について。

巡り巡っていまはIT産業で働いているけれど、僕の就活の時の第一希望は出版社だった。その中でも第一希望だったのがロッキング・オン社。洋楽人気も落ち込んでいるし、いまはフェスの「Rock In Japan」の主催者としてのほうが通りがいいかもしれない。

ただ、僕の高校生の時には、ちょうど米ではNirvana、英でもOasisなどをはじめインディー・ロックを代表するバンドがたくさん生まれており、雑誌としてのロッキング・オンも非常に勢いがあった。僕はどちらかというと「クロスビート」派だったのだけれど、ロッキング・オンは社員=編集者で、彼等の書く主観的ながら深くロックを掘り下げていく文章は魅力的で、高校時代は良く読んでいた。

で、就活の時に戻ると、ちょうどその年にロッキング・オンは新卒応募をかけていた。これはいいチャンスだと思い、他の企業とは段違いの真剣度で準備した(大宅壮一文庫に通って過去のバックナンバー徹底的に読み込んだ)。ロッキング・オンの選考はまさに「らしく」て毎回提出課題があって、小論を書く必要があった。今読むと青くさくて恥ずかしいけれど、かなり力を入れて書いたし、それぞれの文章は文体含めて結構気に入っているので以下公開したい。

 まず書類選考時の提出課題。サニーデイ・サービスは大学時代本当によく聴いていて、「サマーソルジャー」はいま聴いても心がざわざわする至高の名曲。文章はその年に発売されたアルバムから一曲選んで書いた。

課題作文「この一年、私にとってのこの1曲」

サニーディーサービスのアルバム「MUGEN」のサイン・オンについて書く。

 

曽我部が描く世界は、その多くが、一組の男の子と女の子の小さな物語だ。サイン・オンもそうだ。けれど、その世界には、二人の愛の高揚感ではなく、喪失感がこびりついている。例えばこんな一節だ。

 

高鳴る心は寄せては消える夢のよう
手にした次の瞬間にはなくなるものだから

 

このきわめて詩的で美しい部分が、これ以上ない美しいメロディを携えて流れたとき、ぼくの心は動く。それは、二人の愛が今ここにしか存在し得ず、過去も未来もないからだ。

 

しかし、その関係は、椎名林檎が描くような切迫感に溢れたものではない。二人の間にはどうしようもない喪失感が横たわっているのかもしれない。けれど、それは愛し合ったその最初から共有されたものだったのだ。

 

だから、その事実に対して、語り手である「ぼく」は否定も肯定もしない。愛は、夢のように記憶に定着しないまま失われてしまうかもしれない。だが、そんなことは折込済みなのだ。これをペシミスティックな表現と受け取ってはいけない。仮にそう捉えたならば、なぜこの楽曲がこうまでロマンティックなメロディとともにあるのかを見失う。

 

ここで恋愛がいつだって両義的であることを思い出そう。愛し合う二人は、その至福の時がいつまでも続かないことを知っている。また、だからこそ、一瞬のこころのざわめきが何よりも大切なのだということも。ならば、サイン・オンがこうまで魅惑的なアレンジと、静かにたゆたうコーラスとともにあるのか、という疑問は解けたと言えるだろう。

 

それは、恋愛の渦中にある者が感じるどうしようもない心の揺れを、きわめて忠実に写し取ったものなのだ。そして、その思いはいつもある種の哀しみとともにあるのだということを、曽我部は選び抜かれた簡潔な言葉で表した。音と言葉、そのどちらもが独立してあるのでなく、有機的に溶け合った素晴らしい一曲である。

書類選考を無事通過し1次選考時の課題。お前ほんとにロッキング・オン好きなんだなwという文章。この頃はナンバーガールの出現は本当に衝撃的で、米英インディー・ロック(特にメロディー&ノイズ)の歴史を一気に横断した感じの解釈に興奮したことを覚えている。

■ロッキングオンのいい点は?

1.対象への掘り下げが深く、またテーマ性を持った特集やインタビューが為されている点。例えば椎名林檎、降谷建志、ベック等批評性を強く持ったミュージシャンに対してのインタビューは、他誌に比べ、彼等の音楽に向かう姿勢を浮き上がらせると言う点で、際立って優れていた。


また、各誌で組まれる特集は、BUZZのダンスミュージックへの傾倒、JAPANのDRAGON ASH批評、ROCKINONのレイジ評など、その視点に賛否両論あるとしても、90年代後半の音楽を、ダイナミズムの復権、強度の獲得といった流れで捉えており、その姿勢は一貫している。

 

2.ヴィジュアル面の秀逸さ。中島英樹のアートディレクションは、非常にシンプルでありながら、写真の質感やテキストの配置など細かい点まで配慮が為されている。そのため各誌ともデザイン面でいい意味での統一感があり、また、スノッブさがなく手にとりやすいデザインとなっている。また、近年増加してきた単行本も、装丁を含めて、丁寧な、また美的に優れた物が多い。

 

3.編集者の個性が紙面に表れており、読者との関係性が濃密。編集者自らがテキストを書くことで、各誌とも何をしたいのか、どんな表現者を取り上げ、紹介し、論じていくのか、といった点が明確である。


また、各種コラムは同人誌的な部分を残す事に成功しており、読者からの反応を踏まえた上での雑誌作りは読み手にとって感情移入しやすく、それが各誌の勢いを支えている。例えば、BUZZ NIGHT、RISING SUN FES. の開催など読者が参加できるイベントへの積極的な展開も含めて、作り手と読者の共振の方向に進んでいる点が評価できる。

 

4.いい意味でのミーハ―精神。例えば、SIGHTでの執筆陣のように(稲葉振一郎、宮台真司など)各ジャンルで話題になっている個性的な人物を積極的に引っ張ってきて、自由に論じさせる。サブカルチャーからハイカルチャーまで編集者の判断によって対象が選ばれており、その手つきに躍動感が溢れている。対象への愛情が素直に出ている部分は雑誌を活性化させていると言える。

 

■ロッキングオンの問題点は?

1.雑誌点数の増加に伴う取材対象の重複。例えば、椎名林檎のように、ロッキングオン刊行のほぼ全ての雑誌でそのインタビューが行われるなど、取材対象の重複は読者に食傷感をもたらす可能性がある。JAPAN,BUZZ両誌で椎名林檎の音楽観、人生観が語られるなど、視点の違い、質問の違いはあれど、両誌に目を通す読者にとっては有効とはいえない。

 

2.洋楽シーンにおける主役の不在、多様化。ベック、オアシス、ケミカル、など大きな人気を誇るアーティストは存在するが、音楽の表現形態は完全に多様化しまた聞き手の嗜好も単一ではない状況で、ロックシーンを統一的に語ることが不可能になっている。そこでBUZZのような形のごった煮した雑誌が存在する訳だが、1でも述べたように、たとえばロッキングオンとの棲み分けなどの点で問題が残る。

 

■最近良かったCD,ライブ,本は?

CD ナンバーガール
私達が音楽を聞くのは、根本的に不可解な行為であるとはっきりと告げる名作だ。彼等の作る音は隙だらけだ。歌詞は意味不明で、聞いている限りでは具体的な像を全く結ばない。録音はラフで、ギターの音は軋んでいる。けれど、その音に触れた時こちらが自由な連想を駆け巡らせる事を可能にする音楽になっている。


ここに私はこのバンドの志の高さ、メジャーなバンドに見られないいさぎのよさを見る。多くのバンドが作る音はあくまで彼等の持つ衝動をそのまま音楽として表したものだ。悲しみは哀しげな音で。喜びは喜びの音共に。


ナンバーガールは違う。彼等は人間の感情なんていうものを統一的に音楽化できるなどとは思っていない。そうした複雑な感情は、一度全て混ぜ合わされ、雑然としたまま投げ出される。そうした出来た音は、聞き手に自由を与えている。彼等の音が多様な景色を呼び起こすのはそのためだ。彼等は安易な連帯を求めない代わりに、聞き手と作り手相互の自由が保障された音楽空間を作り上げている。

 

ライブ 電気グルーヴ
彼等のライブに行ったの初めてだったが、過去のアルバムからの曲をふんだんにちりばめた選曲は、昔からのファンにとって嬉しいものだった。新作が言葉と音の関係を考え尽くした上で生まれた、非常に力強いものだっただけに、ライブ全体を通して、その方向性が貫かれておりダンスミュージックの文脈より、ロックの文脈でその音を受け取った。


それはDJとして世界に進出した卓球の電気グルーヴの位置付けを示しており興味深かった。つまり、テクノというフィールドで自分の表現欲求を満たした上で、電気グルーヴという回路を通じて、音と言葉の関係を追求し、それをメジャーなフィールドで問うという昔から格闘してきた課題に対してしっかり向かい合っている部分を感じ取ることが出来たのだ。


一方で瀧の位置付けは難しい。彼の持つ笑いの要素、祝祭性は彼らにとってかかせないものだが、今回のライブではそれが少し浮き上がっているような気がした。音が分厚く、力強く鳴っている一方で、瀧の奮闘が少し空周りしているような面があったのだ。

 

本 柳田邦夫 「犠牲-サクリファイス」
もうだいぶ前に書かれた本だが、考えさせられる部分が多かった。著者の息子が、長い精神の病との戦いの後、自殺し脳死段階を経て死んでいった悲劇について書かれた本だ。特に、その息子が書いていた日記や小説が痛ましい。


それらはひどくナイーヴで内省的だ。しかしその表現は、誰もが体の深い底の部分に抱え込んでいる暗い闇の部分に触れており、簡単に目を反らす事が出来ない。殆どの人は自殺せず毎日を生きている訳だが、その陰の部分に真剣に向かい合ってしまう者もいるのだ。


脳死判定を受けた場面で、筆者の抱く思いは深い。脳死判断に関する部分などセンチメンタルを廃し、科学的な論拠を築くべきだと言う立花隆の著作に同意しつつ、息子が脳死となったその時、私に大切なのはそのセンチメンタルな部分だと彼は述べる。その感情が溢れ出した部分に私はただ打たれた。

 

■志望動機は?
ロッキングオンにおいて、編集者であることと読者である事は等価である。少なくともそうあるべきだ、と私は思ってきた。文句のある読者はそれをぶつける事が出来るし、それに対して編集者はうなだれる事も怒鳴り返す事も出来る。双方向のメディアが新しい、などと世間が騒ぐが、良質なメディアとは最初からそんな事は達成していると言えるし、ロッキングオンはそうした媒体で在り得ると考えている。


現在ロッキングオンが刊行している雑誌の扱うジャンルは多岐に渡り、其処に統一性を見出す事は難しくなっている。けれど、私はそれでもいいのではないかと考えている。ばらばらで、しかし力のある表現をそのままの形でカテゴリーに括らず受け止める。こうした態度を表明していく事が今までもこれからも求められ、それを自由に行う事が出来る場を考えた時、ロッキングオンが最もそうした力を持っていると思う。

 次は2次選考の課題作文。この時は2名の討論形式もあり、テーマは「宇多田ヒカルと降谷建志、今後のポップミュージックを担うのはどっちか?」という知らない人が聞いたら苦笑するだろう内容。ちょうどその頃西鉄バスジャック事件をはじめ17歳の犯罪がいくつか起きており、それがお題になっている。

課題:「17歳の犯罪。私が代弁する彼らの弁明」

「このよのすべてのせいめいたいがぼくのてきだっ」「今の僕はなんなのだろうか」

バスジャックの犯人の言葉だ。その幼い言葉使いの奥で、こんな呪いの言葉が響いてくる。俺の人生はめちゃくちゃだが、お前等のそのすました人生とやらも、ぐちゃぐちゃに腐っているのだ。すくすくと育って、自分が一番だと思って生きている能天気な奴等、おまえ達は奴隷のようだ。みんな死ね。

 

私は、彼らが何故殺人にまで至ってしまったのか、と答えの無い問題に頭を悩ませたくはない。共有できるのは、自分は何者なの?と問わなくてはやっていられない、そんな切実な問いかけだけだ。ここには、自分なんていう曖昧なものを実体化し、自己実現しなくてはいけないとプレッシャーをかけてくる何かがある。

 

例えば、学校で教師が求めるのは皆仲良く、自分を磨こう、といった、わかりやすい人間像だ。そんな場で少年は自分の存在の価値を問うてしまっている。同情はできる。こういう悩みは、思春期に必ずあることで、しかも少年はいじめられ、自分の価値を考える事を余儀なくされているのだから、と。

 

しかし、どうして私達はほんとうの自分、演技でない自分があるはずだと考えてしまうのか。そんな単一なのっぺりとした自己など存在せず、また到達も出来ないのはわかっているはずなのに。

 

「あなたには期待していないと親に言われ安心した。親が少年を休ませてあげていたら、事件は起きなかったのでは」高校生が新聞の取材に答えて言った言葉である。この認識は驚きだ。こういった子達はわかっているのだ。過剰に自分ってなんなのだろうと問い、それを学校や家庭で実践していく事の辛さを。これは、犯罪を犯した少年達への確かで、深い理解だ

 

この小文で私は、17歳の少年を犠牲者として描くつもりは毛頭ない。けれど彼等の残した幾つかの言葉は、私達の多くが陥っている自己実現願望の極点を示していると言ったら感傷的に過ぎるであろうか。

 3次選考もなんと通過してしまい、最終選考まで進んだ。約4000名の応募に対して、その年の内定は1名のみ。最終は3名まで絞られていた。結局残念ながら内定は得られなかったのだが、いまでもひとつひとつの場面を覚えている、とても印象深い就職活動だった。というか、渋谷陽一と何度も相対して話せただけでも嬉しかったです、すごく。以下が最終選考時に持参した文章。多分人生で一番気合入れて、推敲に推敲を重ねた文章と思う。

課題:「現在、世界の中で最大のニヒリズムは何か。また、それはどう乗り越えられるべきか」

現在世界で最大のニヒリズムは、同一の神話化した物語が延々と繰り返され、私達がそれを無批判に受け入れつづける事にある。私は本論で、ポップミュージック、特にロックの中に見られる、事象の神話化、そこへの失望、ニヒリズム、という構造を批判し、そこからの離脱の可能性を探ろうと思う。

 

ロックにおいてよく語られるのは、演奏者の内面が表出された音楽と深い関わりをもち、その連関がリアリティに結びつく、といった言説だ。ここで、個人的な経験を語ろう。ニルヴァーナの音楽は、カートコバーンの荒廃した内面が、強い表現衝動に転化し、それが軋むノイズと、違和感をぶちまけた歌詞として吐き出されたものだと評価されていた。私自身もカートの叩き付けた世界への違和感を、自分のそれと結びつけ、自己同一化を図る事で彼らの音に夢中になった。

 

その矢先、カートは自殺した。私は、前世代がイアン・カーティスに託したような神話が再び誕生した事をどこかで喜んでいたのかも知れない。そのおぞましさを知り、自らの希望やら絶望を安易にロックに託す価値観に絶望し、私はニヒリズムに陥った。

 

カートの死を経て、パールジャムやスマパン、ベックなどは「ニルヴァーナ以後」として語られた。しかし、そもそも「ニルヴァーナ以後」と問うこと自体ロック神話―ニヒリズムへの道程―の再生産ではないのか。確かに、エディ・ヴェダーが歩んだ歴史は、カートの死後どう苦悩を歌うのか、というテーマに彩られていたかもしれない。けれど、現在スマパンが解散し、またしてもロックの敗北が謳われるなかで、私達は歌い手の内面を探り、それがどこにも行き着かないことを再確認しつづけるのだろうか。それは、同じ物語の繰り返しに過ぎないにもかかわらず。

 

「『ロックにレボリューションは不可能である』それが日本のロックの見識である。だから無害でOKなのだ」(近田春夫 『考えるヒット』)

 

近田春夫がジュディマリの「くじら12号」を論じた中の言葉だ。彼は、ニヒリストなのではない。ただロックの神話化を疑い、「歌い手」の内面でなく、「うた」の内面を探っているだけなのだ。つまり、歌自体の構造や歌詞の響きに彼の批評は働く。そこには、わかりやすい物語はない。しかし、彼自身のリスナーとしての自前の言葉だけが、しっかりとある。私は、ここにニヒリズムを解体する一つの可能性を感じる。

 

つまり、私達に必要なのは、ロックを既成の文脈、物語の中で受け取る事を徹底的に拒否する事なのだ。フジロックがやたらとステージを増やし、ジャンル横断的なアーティストを中心に招聘するのには、可能性があるのだ。ジャンル内の枠組み、定まった聞き方等を拒否し、多様な音をそのまま受け取る事で、ロック村に自閉しない感覚を得ることが必要とされている。ヒップホップやテクノは、その可能性を示してくれたのではないか。神話の解体は、もっと推し進められなければならない。

 

 

愛と笑いの夜

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