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「伝統」の持つ合理性と面妖さ~おっさんをバカにするだけでは世の中変わらない

安倍政権の保守傾向に対する批判の意図もあり、最近こういった言説が主にリベラル系の論者から出てくる。

みんなが「伝統」と思っているものは、実は最近作られた常識にすぎない、というのは社会科学において頻繁に使われるロジック。例えばフーコーは「狂気の歴史」において、ルネサンス期には社会に肯定的に包摂されていた「狂人」が、近代に入り、社会から排除、隔離されていった様子を描き出した。また、フェミニズムは、家父長制度が近代産業社会に入り強固となった「制度」に過ぎないことを示し、それを絶対的価値観とする男達を激しく批判した。また、網野善彦は日本が「伝統的」に農業国家であるという常識を批判し、中世の商人や手工業者、さらには遊女やアジールなど共同体の外で生きる人たちを活き活きと描き出した。

個人的にも大学時代これらの言説に触れて、「伝統」や「常識」を鮮やかに批判する手さばきに感動し、喝采を上げたのを覚えている。

一方で、職業人として15年ほど経験を積んだ今はこうも思う。

 例えば、夫婦別姓に反対する年長世代。日本企業において終身雇用、年功序列をやはり良しとする50代。これらの人たちを今の若い人やリベラル的立場から社会批判する論者は揶揄するだろう。しかし、ある集団に属する人たちが何かの「信念」や「常識」を持っているとき、それを外から虚構だと批判しても多くの場合なにも変わらない。

なぜなら、以下のツイートで書いたような理由があるから。

例えば、青木昌彦がその制度論で描き出したように、日本企業の「終身雇用制度」は戦後復興から高度経済成長期において競争力の源泉だった。もちろん、今は競争環境が大きく変化を遂げており、「終身雇用制度」が必ずしも合理的な制度と言えない。一方で、全ての産業において非合理とは言い切れず、例えば、日本の部品、素材メーカーが長期に渡りR&Dに投資し、依然として世界でも競争優位を保っているのは、間違いなく長期雇用という制度が支えている。

日本の伝統の名の下に、安倍政権下で危険な動きがあるのは事実。それに対する批判は必要だろう。一方で、「伝統」を信じている人たちにも、それを支える固有の「論理」や「合理」は必ず存在する。進歩的、と思われる見解の「論理」が必ずしも絶対でなく、あくまで限定的な仮定を置いたモデルに過ぎない、という冷徹な見極めが求められると思う。青木昌彦がその著作で「終身雇用制度が日本で「常識」でなくなるには3世代くらいかかるのでは」と述べていたように。

 

狂気の歴史―古典主義時代における

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家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平 (岩波現代文庫)

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無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))

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青木昌彦の経済学入門: 制度論の地平を拡げる (ちくま新書)

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