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ラオスの村を訪れた時のこと

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僕は会社でつい近くの人と雑談してしまうんだけど、今日なぜか大学時代のNGO活動の話になった。

ちょうど「国際援助」というのが日本でも盛り上がりを見せており、国際政治における新しい「アクター」としてNGOが注目を浴び始めたころだった。僕もあるNGOによく顔を出していて、2年生の夏に「スタディーツアー」で、彼等が支援しているラオスの村を尋ねることになった。

今日雑談しながら思い出したのは、そのラオスの小さな村に実際滞在して支援活動を行っていた一人の熱い若者について。

いったい彼はなぜ辺鄙なラオスの村に、NGO職員として辿り着いたのか?

彼はSFCを卒業して、ある大手の石油会社に勤務していた。働き始めて数年が経った頃、阪神大震災が起きて彼は発作的にボランティアに向かう。そのまま彼は会社を休み、ボランティア活動に必死に従事した。しばらく活動を続けたあと、いつまでも仕事を休むわけにもいかない彼は東京に戻ってくる。

そこで彼は部屋に戻り、温かいシャワーを浴びる。そこで彼はこう思う。

「被災地では今も多くの人が苦しんでいる。でも俺はこうしてきれいな部屋で、温かいシャワーを浴びてほっとしている。矛盾じゃないのか」と。

そして、彼はそのまま会社を辞め、ボランティア活動に戻っていった。その後NGOに辿り着き、ラオスの小さな村に「持続的な農業」支援を行う職員として派遣された。

村で会った彼は流暢なラオス語で村人と会話し、ツアーに参加した学生たちに熱く語りかけてきた。

「この村にはね、近代国家が収奪し、破壊してきた伝統的な文化が残ってるんだよ。彼等が代々受け継いできた農業は守られるべきなんだ」

「僕はね、このラオスでの活動が終わったら、日本で有機農業をやるつもりなんだよ。農業からあるべき社会の姿を考えていきたい」

今でも、そうまくし立てる彼の目を覚えている。熱気に満ちた語り口。派手に手振り身振りを加えながら、彼はこちらをきっと睨みながら話しかけてきた。その眼差しは本当に真剣だったけれど、その奥にはどこか寂しさを感じさせた。

大学卒業後はすっかりそのNGOにも顔を出さなくなってしまったので、彼が、その後どこで、なにをやっていたかは全く知らない。彼は、自分の信じるところに従って、あのこちらが気恥ずかしくなるくらいの真剣さで、有機農業をはじめたのだろうか。それとも全く違うなにかをやっているのだろうか。

僕は「国際援助」とは程遠いビジネスの世界で15年ほど過ごしてきた。でも、たまに、NGO活動を通じて出会った、多様で、真剣で、そして少し変わった人達のことを思い出す。そして、その頃の自分がなにを真剣に追い求めようとしていたのかを考える。