グローバル経営の極北

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ポール・オースター「幻影の書」を読む。そこで示される希望とは。

昔はてなダイアリーを書いていたのですが、それを改めて読んでいたらこの書評を見つけました。ポール・オースターの「幻影の書」についての感想。とても気に入っている文章なのでこちらに載せてみます。ぜひご一読くださいませ。

幻影の書 (新潮文庫)

幻影の書 (新潮文庫)

 

ゆっくりと読み進め読了。ストーリー性が高い上(当然ながら)柴田訳は見事な品質を保っていて心地良い読書体験だった。オースターの物語は、まずオースターという全体を制御する人物がいて、一方でその作品内で動きだす登場人物がそれぞれ固有の物語性を持って人生を生きる(そこには喜劇あるいは悲劇がある)、という入れ子の構造が細部まで意識された形で構築されているから安心して読むことができる。柴田氏がオースターは作品内作品、今作でいうとヘクターの映画描写が素晴らしい、と言っているがそういった明示された入れ子構造だけでなく、上記したように物語全体を貫く入れ子構造がオースターの特徴だと思う。

そして、オースターがこの日本にいる僕の心を温めてくれるのは、彼が信じている「物語」というものの力だ。

ヘクターの自伝を7年間書き続けているアルマという女性。彼女はデイヴィッドをヘクターに引き合わせようとする。主人公とアルマはこの不思議な邂逅を経て近づいていく。ヘクターの元にデイヴィッドはたどり着き彼と言葉を交わし親密な関係を築くが、翌日の未明ヘクターは静かに息を引き取る。長旅の疲れからそのことを知らずに眠っているデイヴィッド。アルマは彼のベッドの横で彼が目を覚ますのを待っている。そして彼が目をさました時、彼女は死についてすぐに触れない。まずキスがあり、親密な言葉があり、彼にコーヒーを渡す。

ヘクターについてすぐ話し出さないことによって、彼女は私に、物語の結末部分の中に自分たち二人を溺れさせる気はないことを伝えていたのだ。私たちはもう自分たち二人の物語を始動させたのであり、その物語は彼女にとって、もうひとつの、彼女のこれまでの人生そのもの、私と出会う瞬間に至る全生涯そのものだった物語に劣らず大切だったのだ。

アルマはヘクターの物語を紡ぐ事で、自分の人生を生きてきた。人の物語に仮託することで生起する人生。深く絶対的な孤独を癒す手段としてそれはあっただろう。しかし、ヘクター・マンという男の人生を通じて彼女は別の物語の回路と繋がるきっかけをつかむ。それがデイヴィッドであり、ここに引用したようにアルマはその物語をはっきりとした意志を持って始動させようとする。

では、ここで新たに生み出された物語は自由意志の勝利だろうか。簡単にそうとは言えないことは、オースターは残酷にも物語のラストで示す。アルマは自分の意志で確かに物語を始動させたように見えた。しかし、その物語はどこまでもヘクター・マンを巡るものだった。その桎梏が彼女を縛りつけ、彼女の孤独からの解放は不首尾に終わる。

けれど、アルマの残した痕跡はデイヴィッドの心に残りその物語は引き続き彼の中で生きる。オースターは簡単に希望を示してはいない。ただ物語の持つ力と時としてそれが持つ残酷さ、そしてそこからの回復、という転回を今回もまた見事に描いていると思う。安易な内省に留まらないオースターの示す希望に少し励まされたりする。

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