グローバル経営の極北

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僕が若かった頃の「弱さ」について

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大学時代の友人のAさんはとても目の大きな女の子だった。黒目がはっきりと濃くて、まるで小動物のようにキョロキョロとその目が動いた。厚めの唇をしていて、よく笑う。表情がころころと変わる。その佇まいからは強い意思を感じさせるけれど、語り口は柔らか。視点にはシニカルさがほのかに香っているところがすごく気が合った。

彼女は文字通り「読書狂」だった。僕も大学時代は狂ったように本を読んでいたので、二人で飽きることなく、よく読んでいる本の話をした。

彼女はアメリカ文学が好きだった。彼女がブコウスキーの「くそったれ!少年時代」を絶賛していると、ひねくれた僕はバロウズの「ジャンキー」について語った。

ジャーナリストの本もよく読んだ。彼女がキャパの「ちょっとピンぼけ」が面白かったというと、僕は近藤紘一の「サイゴンから来た妻と娘」の話をして「あれは名作だよね!」と二人でうなずき合った。そして、その勢いで沢木耕太郎の「テロルの決算」のヒリヒリした感じについて語り合う。

政治や歴史も読む。彼女が、授業でフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」を読んでるというと、僕はカーの「危機の二十年」について語る。

こんな感じで、ジャンルを問わず、二人ともとにかく貪るように本を読んだ。スノッブから遠いところで、メジャーもマイナーも、面白そうと思ったものを片端から読んでいくスタイルは二人に共通していた。

ある日、そんなAさんといつものように話し込んでいた時のこと。

どんな流れだったかは覚えていないけれど、僕は自分の「弱さ」がほんとうに嫌だと彼女に向けて語っていた。

その頃の僕は、今から考えると笑ってしまうほど弱かった。すぐ精神的に折れた。誰かにすこし嫌なことを言われたとき、自分がやっていることが急にバカバカしく感じられたとき、女の子に告白して断られたとき、将来の不安にいてもたってもいられなくなるとき、とにかく頻繁に「弱さ」が顔を出してそれに悩まされていた。

彼女が言う。

「うーんそうだな。とくちゃんはさ、そうやってつい考え込んじゃうんだよね。でもさ、それはさ、とくちゃんの良さでもあると思うよ」

「弱さをそこまで真剣に突き詰められる人も限られてる。そう思う」

「ほら、村上さんがさ、傷つかなくること、について書いていたじゃない」

と彼女がそこで触れたのが、村上春樹のエッセイ「傷つかなくなるについて」だった。そこで、村上春樹はこう書いている。

例えば若いうちは、僕もけっこう頻繁に精神的に傷ついていた。ささやかな挫折で目の前が真っ暗になったり、誰かの一言が胸に刺さって足元の地面が崩れ落ちるような思いをすることもあった。思い返してみると、それなりになかなか大変な日々であった。

この文章を読んでいる若い方の中には、いま同じような辛い思いをなさっておられる方もいらっしゃるかもしれない。こんなことで自分は、これからの人生を乗り越えていけるのだろうかと悩んでおられるかもしれない。でも大丈夫、それほど悩むことはない。歳をとれば、人間というものは一般的に、そんなにずたずたとは傷つかないようになるものなのだ。

「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」P129 (強調引用者)

そして彼は、自分がある日を境に、歳をとった人間が傷つくことはあんまり見栄えの良いものでないなと思い、そこからなるべく傷つかないように訓練したと述べて、こう続ける。

でも僕はそのときにつくづく思った。精神的に傷つきやすいのは、若い人々によく見られるひとつの傾向であるだけではなくて、それは彼らに与えられたひとつの固有の権利でもあるのだと。

同上 P131-2 (強調引用者)

 Aさんは静かに、少し斜め下に目線を落としながら、こう言ってくれた。

「とくちゃんの今はほんとにしんどいとおもうんだよね。でもさ、いつかはさ、それは薄れていくと思う。で、村上さんが言うように、その弱さにさいなまれた日々こそがとくちゃんである、ということが記憶として静かに残るんじゃないかな」

もう20年近く前のことなのに、この時彼女が言ってくれたこと、その表情、声のトーンをいまもよく覚えている。その時のまわりの情景や光の感じも。

この記憶と、村上春樹のエッセイに書かれた言葉たちは、僕のこの後の、あちこちにぶつかり、転び、それでもなんとか歯をくいしばって生き延びてきた人生をどこかで支えてくれたと思う。そして、まさにAさんが言ってくれたように、その「弱さにさいなまれた」日々は、僕の心の奥底に、静かに残っている。