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朝5時起きで弁当作る「ワーママ神話」からいかに逃れるか

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あの頃は辛かった。。

娘も2歳4ヶ月。すっかりおしゃべりできるようになって、毎日とても楽しい。子供と言葉でコミュニケーションすることが、こんなに楽しいものとは思わなかった。

1歳のころは毎週のように熱を出して会社休んで病院連れていったり、道の真ん中でいきなり癇癪を起こして泣き出す娘をオロオロとしながらあやしたり、毎日6時に帰宅して育児と家事を奥さんとなんとか片付けて、皿洗いが終わった後に床でそのまま夜中まで寝てしまったことも数えきれないほどあって、毎日ヘトヘトになっていた。

この頃は本当に疲れ切っていて、毎日重い体を引きずりながら会社にいって、寝不足と疲労で仕事にも集中できず、生産性は著しく低かった。イライラしてコミュニケーションが雑になり、それが問題を引き起こしたこともあった。娘が産まれる前は、常に高い質とスピードで仕事を進めることを心がけて、主導権を常に握ることで成果を出していたので、その落差に我ながら愕然とすることもあった。

で、思ったのは、仕事と育児の両立無理ゲーすぎ、ということ。これが嘘偽りない本音だった。でも、世の中にはスゴい人がいる。スゴすぎる人が。。

「ワーママ神話」を越えて

それが、AERAなどにインタビューを受けるようなワーママ。彼女たちは「外資系役員で、ワンオペで、子供寝たら夜中まで仕事して、朝は5時に起きて弁当作って、大変ですけど充実してるし何より子供の笑顔に癒されます」みたいな、言葉は悪いが「パラノイア」気味の人だったりする。

で、このことをツイートしたら、いいね4000を越えるなど大きな反響があった。

多くの人から貰ったのは「こういうワーママを目指さなければいけないとプレッシャー感じてました」とか「育児と仕事の両立を完璧にやらなくてはと頑張りすぎて体壊しました」といったコメント。

そうなんですよね。他人は他人、なのについそういう「極端な」ケースに目が行ってしまって、自分のペースを乱したり、過剰に頑張りすぎてしまう。私も同じようなプレッシャーを知らず知らずのうちに感じていた。

育児に限らずなんでもそうだけれど、他人のことは参考程度にして、とにかく自分なりにやれることをやる、高望みしない、というのがとても重要と改めて思う。特に、育児&仕事の生活を乗り切る上では特に重要な指針だなあとしみじみと。

あと「スーパーワーママ」も実際は、実母や夫の手厚いサポートあるからできてるよ、というのもリプライで頂いた。まさにそうで、家庭内のことは他人からは結局窺い知れないし、メディアにでるのはその上澄みの、しかも分かりやすく刺激の強い部分に過ぎない。

「個人として」どうしたいのかを自分に問いかける

このことで思い出したのは、よく言う「プロは環境のせいにしない」っていうやつ。育児を言い訳に仕事の質落とせない、的な雰囲気は、特に日本の職場だと色濃い。でも、育児中、特に子供が小さい時は仕事の質は明らかに落ちるので、少なくとも「自分には」カッコつけず「あっこりゃだめだ、諦めよ」って素直になるのが大事かなと考えを切り替えている。そうやって「いい意味で」言い訳しないと潰れるというのが身にしみて分かったので。

結局のところ、なんでも自分が当事者として経験しないとほんとのところは分からないので、育児と仕事の両立は大変だけど学びはすごいある。会社に「依存する」のでなくて、会社を「活用する」とはどういうことか。個人としてどう生きれば幸福そうか、など、リアルな経験から本質的な部分を考えられるので。

結局のところ、頭だけで「育児と仕事の両立」なんて考えていてもどこにも行けなくて、状況に放り込まれて必死になってはじめてその意味するところが分かってくるのだなと改めて思う。

日本(と言い切ってしまうけれど)はどうしても「組織」を「個人」に優先させてしまいがちなところがある。私もその傾向は強い。それがこの国の治安や秩序を保ってる側面もあるので、一概に否定すべきものではないけれど、やはりそろそろそこから少しずつでも「個人としてどうしたいのか」をまず考える方向にずらしていかないとなのかなと思う。

そしてそれは、例えばネットの有名人が主張する「日本人こうすべき」といった教条的なべき論でなくて、我々一人一人が、自分自身の心に問いかけて「自分はこういう道を歩んでいきたいんだ」と自分の言葉を見つけていくことから始まるのではないだろうか。育児と仕事で充実と疲労を行ったり来たりしながら、私自身自分に日々問いかけている。

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