グローバル経営の極北

グローバル経営を考える「素材」を提供します

育児はこうあるべき、という観念から遠いところで

f:id:nori76:20170818120120p:plain

「牛乳石鹸」炎上の論点とは?

牛乳石鹸のウェブCMが炎上している。

ただ、この件については、インサイトフォースの山口さんのこの指摘につきると思う。

つまり、マーケティング観点が論点だということ。

ポリコレ観点から表現の「正しさ」を査定する、というのはアメリカではよくある観点だけれど、それが社会を覆いすぎるのもなかなかしんどいものがある。

ただ、お父さん側の大変さも理解しつつ、同時にふと思う。やっぱり育児の大変さってうまく伝わりにくいよなと。

育児と仕事に追われながら

この記事(「育児とはマネジメントである」)で書いたように、育児は決して「単純作業」でなく「マネジメント」が求められるため難易度は高い。

意思決定の連続だし、子供の行動は予測不可能なのでそこに対応していると、メンタルは徐々に削られ疲労はどんどん溜まっていく。

結果として、仕事に割ける物理的時間が少なくなることに加え、その疲労感から仕事の意思決定の質が下がってくる。

この負の連鎖は結構しんどくて、私もそこに慣れるまでかなり時間がかかってしまった。

そして、このしんどさに加えて、仕事と育児をどうバランスさせていくのか、という難題が残る。

仕事でキャリアを築いていくには「ここが集中しどころだ」というポイントが確かにある。

そこで質量とも自分の持てるリソースを徹底的に仕事に投入することで大きな成果を得ることができるし、何よりその没入を通じてその後のキャリアの礎となる経験とスキルを身につけることができる。

一方で、子供の成長を近くで見られるのも人生で一回切り。

子供の成長は思ったよりも速い。娘と毎日毎日長い時間を過ごす中で、夜中に泣き止まない彼女を抱っこして、汗だくになりながら部屋中歩きスクワットでグルグル回っていたこと、はじめてごろんと娘が寝返りうった時のこと、「たーたん」と自分を呼んでくれた時のこと、などその時の必死さや感動も含めてすべて生き生きと思い出すことができるし、これは今後の人生で自分を温めてくれる記憶になるなと思う。

仕事も育児も、ここしかない、というポイントがある。

どちらにも同じくらいの熱量を傾けることは、とても、むずかしい。でも、世の中のお母さん(そしてお父さんも)は、その両立の困難さに毎日くらくらしながら、自分のその時の精一杯を傾けて育児と仕事に向かい合っている。

社会はこうあるべき、という観念から遠いところで。