グローバル経営の極北

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リストラされる寸前だったときのこと

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少し個人的な話を。

ここで書いたように、2008年の夏ごろの私は、コンサルの仕事でまったく成果が出せずに、長年の持病にも悩まされ、完全に八方塞がりの状況。しかも業績の不振から、会社ではリストラのプログラムが動き始めていました。

そして「使えないコンサル」だった私は、案の定その対象の一人となり、異動先が見つからなければそのまま退職せざるを得ない状況に。

でも、ここまで追い込まれて「負けず嫌い」の火がつきました。自分を売り込むプレゼン資料を徹底的に磨き込んで、社内の知り合いには異動の可能性を聞きまわり、前職のメーカーの事業部門長に久々に会ってもらい状況を聞き、同時にエージェントに会って転職の可能性も探りました。

その努力が実り、社内の間接部門で人を募集しているという話を聞きつけ、面接の機会を得ることができました。改めて「売り込み」資料を磨き直して、面接に向けて準備。転職の面接ばりの真剣さでした。

外資系の文化に慣れた人ならば「そんなのさっさと転職すればいいじゃん」と思うかもしれません。ただ、その頃の私は、本当に悔しかったんですね。

仕事でなんの成果も出せずに、毎日怒鳴られ、そのまま捨てられることに。いや、正しく言うとそういう状況でも、ただ無力な自分が許せなかったんです。とにかく悔しかった。何度も歯ぎしりしながら、一人の時によく泣いていました。

だから、どんな仕事でもいいから、その会社で爪痕を残したかったんだといま振り返ると思います。

尋常じゃない真剣さが実ったのか、幸い面接は好感触でした。ただ、異動の許可を得るためには少し時間がかかりそうなので待ってくれと言われました(外資系は、異動であっても人を増やすのはとても大変です)。

決定を待つ間に私は社内プロジェクトにアサインされました。海外のベスト・プラクティスの資料を翻訳して日本向けに編集する仕事。

もう一人アサインされた人は、長い休職から戻ってきた40代後半のコンサルタント。もともとエンジニアだった人で、朴訥とした、でも頭の良い、とても感じの良いおじさんでした。

私はそのおじさんと、朝から資料を翻訳して、お昼ごはんを社食で一緒に食べて、また翻訳作業に戻って、一日のおわりにお互い進捗を確認して、という日々を淡々と積み重ねていきました。

そして、家に帰って食事を済ませて少し休んだら、夜の10時くらいから毎日同じコースを5キロ走っていました。毎日毎日、かならず。

走っている時にかならず聴いていたのがPerfumeの1stアルバム。繰り返し彼女たちの音楽を聴いて走りながら「あせるな、あせるな」と自分に言い聞かせていました。

その頃の私は(こうして書くと気恥ずかしいですが)長い年月の間、売れないアイドルとして格闘しながら、決して諦めずに成功を掴んだ彼女たちに、自分の現状を投影して共感していたんだと思います。

だから、ポリリズムで一気にメジャーに浮上した2ndアルバムでなく、その下積み時代の息づかいと真剣さが全体に満ち溢れている1stアルバムばかりを聴いていた。

実際のところ、状況は依然として予断を許さなかったし、精神的にも正直なところだいぶ追い込まれていました。

でも、そこで感情の渦に巻き込まれたら終わりということがよくわかっていました。だから、ただ、自分に「あせるな」と言い聞かせて、Perfumeの音楽に励まされながら、毎日走っていたんです。

そして、いま振り返れば、毎日淡々と翻訳作業に打ち込み、家に帰れば走る生活が、自分にとっての「人生のリハビリ」だったんだなと思います。

とても幸運なことに、1ヶ月ほど待たされはしたものの、無事にその間接部門への異動は承認されました。異動後は、久々に仕事に集中することができるようになり、人の縁にも恵まれ、なんとか成果を出すことができて、それがいまに繋がっています。

ただ、いまでも、この時のことは思い出します。先が見えなくて、でも、その不安に押しつぶされたらダメだと、ただ、ひたすらに昼間は英語を日本語に移し替えることに集中し、夜は音楽に耳を傾けながら走っていた時のことを。 あの時の自分の息づかいも。