グローバル経営の極北

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グローバル経営の極北

日系メーカー、米系IT企業を渡り歩いてきた経験をもとにグローバル経営について語ります。Twitter(@nori76)もやってます

リーダーシップとはなにかを教えてくれた部下のRさんのこと

経営 キャリア

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僕がマネージャーとしてまだまだ未熟だった頃、人事担当役員からこんな言葉をもらった。

「私はメンバーを自分の子供だと思ってるのよ」

その役員は非常にアグレッシブで、推進力のある人だったので、この言葉を聞いて意外な印象を持った。そして正直「子供だと思う、かあ」と実感がわかなかった。その当時自分に子供がいなかったこともあるけれど、それ以上にビジネスにおけるマネジメントでそういった(親子のような)関係を構築するのが最適解なのか、という疑問があったように思う。

マネージャーとしてどういったリーダーシップが最適なのか、これは本当に難しい問題で、単一の解があるわけではない。僕も毎日試行錯誤が続く。ただ、はじめてチームを持った時のメンバーだったRさんとの経験が、僕のリーダーシップへの理念みたいなものを作ってくれたと思う。

Rさんは、多様な「顔」を持った人だった。中高時代をアメリカで過ごし英語はネイティブレベル。米IT企業に新卒で入ると社内システム構築の部門でエンジニアとして経験を積んだ。身長は165cmくらいと低めで、目がぎょろっとしたオリエンタルな顔立ちで色白。性格は頑固。エンジニア気質とあわせて、一度甲高い声で話し始めると止まらなかった。

はっきり言うと、僕がマネージャーになったとき彼はうまくやれていなかった。SEとしての経験からレポーティングやシステムインフラ周りの仕事をやっていたが、とにかくコミュニケーションに難があった。仕事ぶりにエンジニアとしての緻密さはあるのだが、他のメンバーと協業しながら何かを前にすすめることがとにかく苦手だった。感情的なやりとりが多く見られ、彼を「異端視」する人も多かった。

そんな彼だったが、僕は彼が心のなかでどこか怯えているような印象を感じ取っていた。自分がどこに結びついているのかよくわからない不安な感じ。そこで、まずこんな感じの話をした。

「Rさん、うちの部門の仕事ってこうだよね、っていう狭い内輪の固定観念で仕事しちゃだめだよ。せっかくエンジニアとしての経験があるんだから、レポーティングを支えるシステム全体のアーキテクチャはどうなっているか、とか、レポーティングから論理的に導かれる経営的示唆はなにか、とか会社の外でも通用するレベルで仕事しよう」

「この部門にあと10年いることはないよね。だから、マネージャーが言うことじゃないかもしれないけど、Rさんには、この部門を「いま飛び出しても」どこでもやっていけるスキルをつけてほしい。部門内の「内輪の論理」じゃない、世間一般どこでも通用するスキルはなんなのかを一緒に考えようよ」

こういう話をしたら、彼の顔がはっきりと変わったのをよく覚えている。やはり彼は自分がどちらに向かえばいいのか悩んでいたのだ。

そこからの彼との仕事は楽しかった。本来は素直な性格だったので、こちらの厳しい要求にもエンジニアらしく緻密に応えようと奮闘してくれた。他のメンバーとのコミュニケーションにも積極的になった。一方で彼の弱点は、ふと気を抜いて責任のボールを手放してしまうところだった。なので、そういう兆候が見えた時は厳しく叱った。「外でも通用するプロになるって約束したよね」と。

年次評価のミーティングの時に彼にこの1年どうだったと聞いた。

「いままで、キャリアパスをどうすべきか、なんていう話をするマネージャーはいませんでした。なので、とても新鮮だったし、楽しくできました」

この言葉は僕がマネージャーになって以来、人からもらって一番嬉しかった言葉だ。僕自身も新米マネージャーで暗中模索だった時に、とにかくメンバーと向かい合うしかないな、と自分がこれだと思うやり方に素直に従ったのが良かったのだろう。

いま振り返ると、冒頭の人事役員の言葉は、自分の子供のようにメンバーを常に「庇護」のもとに置け、ということではなかったと気づく。子供はいつか親元を離れ、自立していく。マネージャーの役割も同じだろう。メンバーの側にいつも立ち、キャリアパスを一緒に考える。達成したことをきちんと評価して褒める。ただ、やるべきことをきちんとやれていない時は厳しく指導する。厳しい状況に追い込まれた時はギリギリまで自分でやれるよう見守りつつ、これ以上厳しいというところでは前面に出て守ってあげる。

こういうことを繰り返すうちに、メンバーは「自立」していく。これはまさに「子育て」が辿るプロセスと同じと言えるのではないだろうか。Rさんと共に歩んだ2年間のことを思い出しながら、これからも自分のメンバーの歩みを支え続けられればと思う。