グローバル経営の極北

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「内面の葛藤」はそれ自体では解けないということ

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この記事で書いたように、仕事も含めて改めて人生の意味みたいなものを考える時期になってて、久々に内省的なモードになっている。仕事ってなんなのか、というのを、未来は全て想像でしかなかった若い頃と違う形で、15年ほどの仕事経験を踏まえて改めて考えなおしているとも言える。

前職で駐在していた時の日本人の同僚で、仕事の理想像を強く持ち、そのビジョンをメンバーにも伝えて組織を鼓舞し、成果の達成に徹底的に拘ることで実績を積み上げていた強いリーダーがいた。自分に厳しい人で、そういう人の常として、他人に求める基準も高かった。僕もその人に幾度となく「詰められて」何度も冷や汗をかいたことを思い出す。

その人がある日突然会社を辞めて日本で独立した。当初は色々と試行錯誤していたけれど、最終的に行き着いたのは、個人の変容を東洋思想的な観点から促す、みたいな「ちょっと精神性強すぎないでしょうか」というような方向での事業だった。ただ、その内容自体がどうというより、そこに至る精神の動きみたいなものは最近なんとなくわかる。米の公開企業が四半期業績をきちんと着地させることに注ぐ力やプレッシャーはものすごいものがあって、そこからの要請で、狂ったように仕事に没入することで学べることや、限界を走る快感みたいのは確かにある。ただ、やはりその延長に何かしらの袋小路を感じてきたのも事実。

そうした外面的な圧力とは別に、僕の場合は、「内面の葛藤」の延長として仕事に狂ったように打ち込んでいた側面がある。それは自分がうまく成果を出せないことへの「怒り」が原動力だったし、他人や状況からのプレッシャーや圧力に正面から向かい合い、自分の「弱さ」を言い訳にせず、それと対峙して一歩も引かない強さを求めていく過程だった。この内面的な葛藤は、幸いのところ、実際の仕事における試行錯誤と鍛錬の結果、30代を通じて一つの解決といえる地点までたどり着いた。一方で、では、仕事それ自体になにを求めるのかと、というのがテーマになってきているのだろう。

内面に抱える課題は内面の葛藤それ自体では解けない、というのが30代に学んだことで、それがよく分かってなかった20代は、そこで完全に隘路にはまっていた。例えば自分の弱さを克服したいとして、その弱さを内面の言語、つまり抽象的な概念で克服することはできない。外面と内面は常に連動していて、外面、ここで言えば仕事という場における課題を通じて内面の課題は浮かび上がり、仕事の課題解決を通じて、それは内面の課題にフィードバックされる。この相互依存性が本当に鍵で、もう少し自分の体験も踏まえながら今後掘り下げていきたいと思う。