グローバル経営の極北

グローバル経営を考える「素材」を提供します

意思決定することは「仕事」です

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この記事(なぜグローバル企業の経営陣は「定時退社」するのか?)はありがたいことに多くの人に読んでもらっており、PVは60,000を越えて、Facebookのシェアも5716までいった。

この記事で言いたかったことの一つが、「意思決定は仕事である」ということ。前掲の記事では「定時退社」という言葉に反応する人が結構いて「定時に帰るマネージャーは信用できない」とか「家に帰って仕事してんだろう」みたいなコメントが散見された。これを見て思ったのは、「意思決定は仕事である」というのをなかなか信じ切れない人が多いんだなということ。

こう思っていろいろ検索していたら、こんな記事を見つけた。バブソン大学の教授のHarvard Business Reviewのインタビューをまとめたものだ。

重大な意思決定を迫られたマネジャーが、リソースにも知識にも恵まれていながら、賢明とはいえない決断を下すことが多いのはなぜだろうか。理由の大部分は、意思決定に対する認識が間違っていることにある。彼らは主要な意思決定を、組織の仕事を前進させるためにすべき選択のように考えている。しかし本来、意思決定そのものが仕事なのだ。

これは本当に重要なポイントで、多くのマネージャーは、意思決定を自分の重要な仕事であるとはなかなか信じ切れない。がゆえに「手を動かす」仕事に自分も長時間従事することで成果を出そうとする。

しかし、なぜ企業がマネージャーという「中間管理職」を置いているのかと言えば、それはまさに意思決定することを彼等に望んでいるからに他ならない。もっと言えば、マネージャーに「預けている」リソース(メンバーやその他経営資源)から、適切な意思決定の連鎖で、最大限の投資対効果を引き出すことを期待していると言える。

なので、マネージャー自身が「現場」の仕事に忙殺されていては、マネージャーというポジションを置く経営的な意味がなくなってしまう。そもそも、意思決定というのは、それ自体が非常に負荷のかかる「重い」仕事のはずである。

例えば、僕が「師匠」と思っている前職のCOOは、毎日6時には帰宅していたけれど、まさに24時間考えて、意思決定し続けている人だった。いつも頭の中で経営の最適解は何かを考えていて、その仮説のエビデンスが欲しい時に昼夜を問わず僕にメールをしてきた。

毎週土曜日の朝6時ごろに彼が欲しいデータや仮説のリストが僕に送られてきたのを思い出す。朝起きると次の1週間に向けて必要なアクションが彼の頭に浮かぶのだろう。そのリクエストからは、彼の深い経営的洞察や仮説がいつも透けて見えてきて、彼の意思決定を助けるデータや洞察をどうやったら提供できるかと考えるのは、苦労も多かったけれど、楽しい作業だった。

さらに、こちらが提供したデータや洞察によって、彼が素早く意思決定し、それが数千億円規模のビジネスを直接に動かしていくのは驚きだったし、「経営」の仕事というのが本当にあるのだ、と気づかせてくれたのも彼のその意思決定の見事さだった。

日系企業、外資系企業と僕は3社を渡り歩いてきたけれど、そのどちらも優れた管理職や経営陣は意思決定することに焦点を合わせていた。質の高い意思決定をすることは、経営を良くする、という側面だけでなく、ヒト、モノ、カネをチームに適切に呼びこむことで、メンバーも幸せにすることができる。「意思決定は仕事である」という認識がもっと広がればと思っている。

 

ジャッジメントコール 決断をめぐる12の物語

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意思決定と合理性 (ちくま学芸文庫)

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新版 経営行動―経営組織における意思決定過程の研究

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海外事業のマネジメントに苦しむ日本企業

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楽天が最新の決算で電子書籍のKoboをはじめとした海外事業の減損を行ったことが話題になっていた。

ネットでは、海外事業の苦戦を「英語公用語」化と結びつけて揶揄する人も多くいたけれど、当然ながらそれは本質的な部分ではない。

僕は楽天の事業領域には明るくないので、その観点からではなく、日本とその他の国(主に欧米)とのマネジメントスタイルのギャップという観点から考察してみたい。

まず、濱口桂一郎氏の「ジョブ型」と「メンバーシップ型」という、欧米と日本の雇用形態の違いをうまく整理した概念を紹介する。

一般的に欧米企業は「ジョブ型」の雇用となっている。ここでは「仕事に人をはりつける」。職務範囲は明確で職能ごとに役割定義がなされる。雇用は「必要な仕事が定義された時」に行われる。

一方で日本企業は「メンバーシップ型」の雇用。ここでは「人に仕事をはりつける」。職務範囲は曖昧で属人的。長期雇用が基本で様々な職能をローテーションすることも多い。

仕事に人がはりつく欧米企業型の場合、経営マネジメントはあくまでその「仕事」が想定通りに進捗し、成果を出しているかに向かう。なので、KPI設定→ダッシュボード作成→定期的な経営レビュー、といった手順で想定どおりの成果が出ているかを検証していく。もしその仕事を担当している「人」が成果を出していなければ、その人を外すかクビにして他の人を探す。ポイントは、このモデルでは焦点があくまで「仕事」に向かうところ。

一方で、日本のマネジメントはこの点が曖昧になる。「人に仕事をはりつける」ので、マネジメントの視線はまずその「人」が「うまくやっているか」に向かう。なので、想定通りの成果が出ていなければ、改善すべきはその「人」のパフォーマンスとなる。ここは上記した欧米企業と大きく異なる点。

こうした考察を踏まえ、楽天の話に戻ろう。社員による企業評価サイトであるGlassdoorの楽天のレビューを見てみると、彼等が抱えるマネジメントの課題が浮き彫りになってくる。

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Poorly managed by Japanese executives that have no understanding of American business or customer behavior. The SOP is to set targets that are unachievable as a way to save money on commission payouts. All the VPs and Directors were promoted based on sucking up rather than verifiable performance. Morale is extremely low and the employee turn over is high.

Loosen the control of the Japan parent company and hire executives with experience in this market.

以上のように総合評価は2.7と低く、レビューのコメントにも厳しいものが並ぶ。レビューの評価やコメントを一般化することは避けるべきだけれど、本社の「日本人」のマネジメントが稚拙、というコメントは他にも多く散見される。あくまで推測になってしまうが、この背景に、上記した「ジョブ型」と「メンバーシップ型」の違いと、それに起因するマネジメント手法の違いをみることは不自然ではないだろう。

強調したいのは、日本的「メンバーシップ型」の雇用やそれに紐づくマネジメントモデルが劣っているわけでないということ。例えば、日本が依然強い競争力を誇っている素材や部品産業など、長期に渡るR&Dに投資する必要がある産業では、日本型の長期雇用モデルは力を発揮するだろう。

一方で、楽天が足場を置いているインターネット・ハイテク業界のように、産業構造の変化が激しく、必要とされるスキルの変遷も激しい場合は、やはり「ジョブ型」が適切になってくる。今後の成長産業でどう日本企業が足場を築いていくか、という課題は、このマネジメントモデルの違いを考慮することが大切になる。

日本企業のグローバル経営モデルとしては、日本本社と別に海外事業を統括する会社をジュネーブにおいているJTのモデルが参考になると考えており、その点についてはまた改めて別記事で論じたい。

若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (中公新書ラクレ)

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英語の「発音」が決定的に重要な理由

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発音のコンプレックス

日本の英語教育ではあまり発音が重要視されない。ただ、英語を実際に使って話す上では発音がきわめて重要になってくる。僕も、発音をきちんと学生時代に習得できていなかったがゆえに、とてもとても苦労してきた。

まず、この記事で書いたように、大学時代のアメリカへの交換留学での苦労。大学の英会話の授業ではそれなりに話せていたつもりだったが、実際アメリカに行ってみるとこちらの言うことが全く通じない。同級生のアメリカ人が、こちらが話をすると困惑したり、バカにしたような顔をするのを見るのはとてもしんどかった。

また、お店はさらにきつかった。特にサブウェイなどのサンドイッチ店は恐怖で、トマト、レタス、ピクルスなどなど、どれを発音しても"What?"と言われるのはしんどかった。なので、メンタルの弱い僕は"All(全部入り)"といって無意味に具の多いサンドイッチを食べざるを得なかった。。

留学の一年でなんとか会話力はあがり、発音の授業があったので発音も少しはまともになった。さらに新卒で入ったメーカーで欧米、アジア、中東と世界中の人と海外営業として仕事したことで、英語を話すことにはまったく物怖じしなくなった。一方で、発音への苦手意識は消えず、それはコンプレックス的なものとして残った。

なぜ発音が重要か

そもそも発音はなぜ大事なのだろうか?

まず言えるのは、ある言語の母音や子音が正しく発声されないと、聞き手(特にネイティブ)のストレスがとても高いこと。結果、上記した僕の留学時のように、こちらの話に耳を傾けてくれなくなる。

誤った発音がもたらすストレスについては、僕が上海駐在している時に具体的に体験できた。駐在先はIT開発のオフショア拠点。なので、数千人規模で日本語を話せる中国人がいた。その日本語レベルは当然様々だが、基礎の発音がきちんとしていない人の話を聞くのはかなりストレスが溜まった。

まず、端的に言って、何を言っているかわからない。もしくは、発音できていない音を含む文章が消える。なので、こちらで何を言おうとしているのかを補う必要が出てくる。これはとてもストレスだった。

でも、例えばインド人の英語ってどうなの?という人がいるかもしれない。

インド人の英語は確かに「訛り」が強い。けれど、「母国語」として英語の音声上の「肝」の部分はきちんと習得している。つまり、彼等の英語は、英米のネイティブからすると「方言」という形になるだろうと思う。

それに対して日本では、中高で正しい発音をきちんと学ぶ機会はほとんど無い。特に学習の初期で母音や子音の正しい発音を学ぶ機会がないので、我流(多くはカタカナ読み)の発音のままになっている人がとても多い。僕もまさにこうした「我流」の発音で苦労した一人だ。

ヘタクソな発音の弊害

でもでも、ブロークンでもとにかく話すことが大事じゃないの?と言う人もいるだろう。

それは一理ある。日本人はただでさえ「内気」な傾向の強い民族なので、その上に発音を気にし過ぎると、一層会話に入れなくなってしまうだろう。

ただ、発音や文法を無視した英語を話すことに慣れてしまうと、長期的には弊害が大きい。初級レベルでは許容される間違いも、実際に英語を使って「ガチンコ」で仕事する際には、上述した僕のオフショア開発拠点での経験のように、正しく言語を使いこなせない人が深い信頼を得るのは難しい。

例えば日本企業の本社と海外法人の関係、こちらが顧客の場合、など力関係によってはブロークンの英語でも許容される場合はあるが、そういった「日本人枠」に留まる限りなかなか国際的に深いレベルでの仕事には入り込んでいけない。

また、もう一つ重要な点は、正しい発音を覚えないとリスニング力があるレベル以上伸びなくなるということ。よく言われるように「正しく発音できない音は聞き取ることができない」。これは本当で、僕も発音の矯正を進めると、今まできちんと聞こえなかった母音や子音がクリアに聞こえるようになった。

ではどう勉強するか

以上だいぶ長くなったけど、最後に僕がどんな勉強をしてきたかをまとめたい。

まず、5年ほど前に発音矯正の「ジングルズ」に1年ほど通っていた。校長はかなり癖のある人だけれど、方法論はきちんと体系化されているし、使われるテキストの内容も段階的に英語の「肝」となる発音を一つ一つ繰り返し学べるようによく構成されていた。講師はジングルズを通じて発音矯正した「日本人」で、よく訓練されているし、日本人がどうやって発音を矯正できるか、というのを実地で体験してきた人達なので、ネイティブに学ぶよりも効果的だろうと思う。個人的には、SやTといった子音の重要性を徹底的に叩き込んでくれたことに感謝している。ここで学んだおかげで、それ以降ネイティブがこれらの子音を強く発音していることに気づくことができた。

次にスマートフォンのアプリでかなり有名なReal英会話。このアプリでは、ネイティブによく使われる表現をiPhoneのマイクを使ってしゃべると、その発音が正しいかどうか判定してくれる「発音練習」という機能がある。これはとても良い。選ばれている表現はどれも日常でよく使うこなれたものだし、その場で発音が正しいか判定してくれるのはありがたい。

次にスマートフォンの音声入力機能(僕はiPhoneを使っている)も有効。メモ帳を開いて、音声入力でなにか英語をしゃべると、その発音に応じて英語の文章がメモ帳に表示されるので、自分の発音が正しければ正しい英語の文章が表示される。これを使うと、自分がどの音に弱点があるかをすぐ確かめられる。さらに、iPhoneの「ボイスメモ」もよく使う。僕は、本社とのレビューの前などに、話そうとしている内容を録音して、発音だけでなく使っている表現が変でないかを確かめたりしている。これもとても効果的。

発音に関する本はたくさんあるけど、この「超低速メソッド」と謳った本は結構よかった。母音および子音それぞれについて一つ一つ学んでいけるので、ジングルズで学んだことを改めて整理する上で役立った。

超低速メソッド英語発音トレーニング (CDブック)

超低速メソッド英語発音トレーニング (CDブック)

 

 英語の勉強に終わりはない。特に最初の基礎でつまづくと後々取り戻すのは本当に大変。悔しいなあと思いつつ、今日もコツコツ勉強するのだった。今後もそうした僕の経験について書いていこうと思う。

「決められない」シャープの迷走を笑えない理由

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シャープの経営が迷走している。産業革新機構による支援でほぼ決まりとなっていた状況から、鴻海が7,000億円と機構案を大きく上回る金額を提示し、一点鴻海案が有力と噂されている。こうした事態に対して多くの人がシャープの経営の「稚拙」さを指摘(揶揄)し、決断できない経営陣を批判している。

しかし、このシャープのケースは、個別企業の経営陣の稚拙さ、という観点でなく、日本企業がはまりがちな構造的な観点から捉えるべき課題と考えている。

その点で、「戦略不全の因果」などの著作で有名な三品和広氏(神戸大学大学院教授)の論考が参考になる。三品氏は液晶技術で栄華を誇った「かつてのシャープ」と企業価値が大きく毀損してしまった「いまのシャープ」をみな混同していると指摘する。そして、「いまのシャープ」は既に技術的にも守るべきものはなく、現実は直視すべきと断言する。そして、雇用を守るため、といったお題目で経営破綻を国や銀行が救済する構造を「モラルハザード」として批判している。

この指摘は重要だ。JALや三洋電機といった過去の事例、そして今回のシャープの事例においても、国や銀行が延命策を図るだろうという「予期」のもとに経営者が意思決定してしまう(もしくは、しなくなってしまう)構造こそが日本の企業統治における大きな課題だからだ。

この「モラルハザード」の構造の問題は、経営陣が明確な意思決定せずにずるずると結論を先延ばしすることにある。最終的に国や銀行による救済が予期されているから、状況が悪化し続けていても、リストラや資産売却を含む抜本的な構造改革やコア事業への集中・強化などの必要な施策を「短期間」で一気に進めるインセンティブが失われる。結果として、構造改革らしきものはなされるものの、それは長期にかつ小出しにして行われるため、抜本的な課題の解決には繋がらない。

こうした「モラルハザード」の状況とあわせてポイントとなるのは「企業は永続させなければならない」という日本のビジネス界に特に強く共有されている信念だろう。日本には操業100年を超える企業が26,000社あり、200年を超える企業も3,146社。世界の200年を超える企業の半数以上が日本にあることになる。こうした歴史が「企業はずっと続いていくもの」という文化を生み出し、さらにそれを補完する形で、終身雇用モデルが依然として多くの日本企業で維持されている。

こうした信念は必ずしも悪いわけではなく、その企業存続への強い意志が老舗企業を支えている例も多い。一方で、それは危機下において経営陣が「フリーズ」してしまう状況を生み出すことがある。それはどういうことか?

危機下における再建は当然ながら不確定要素が多く、一歩打ち手を間違えれば企業が倒産したり、他社に吸収されるリスクを伴う。再建をリードする経営陣はこうした倒産や事業譲渡のリスクを正しく捉えながらも、手を止めること無くアクションし続ける必要があるが、企業の「永続」を強く意識してしまうと、その不確定要素の大きさと企業を自分の代で「潰してしまう」かもしれないという恐怖が彼等の足を止める。シャープに限らず過去にも外野からすると「なぜ決断できないんだ」と感じる事例は日本で多く見られてきたが、その背景にこうした構造を見るのは不自然ではないだろう。

シャープがこれだけ苦境に陥りながらも「決定できない」経営陣を安易に批判する論者はとても多いが、彼等は経営の意思決定というものが常に「主体的」になされうるという素朴な前提を信じすぎているように思う。しかし、上述したように経営の意思決定は構造や慣習(文化)にかなりの部分を規定されている。なので「決定したくても決定できない」という構造に不振企業ほどはまっていく、という視点は改めて重要と言えよう。社外取締役の導入をはじめ日本でも企業統治の変革は続けられているが、こうした「構造」に対する意識がもう少し強まらないと抜本的な解決には繋がらないのではと考えている。

例えば、アメリカでは取締役会の構成メンバーは社内からはCEO一人のみで、あとは全て社外からという企業が大半を占める。これは上記したような、経営陣が「決定できない」構造を回避するための一つの知恵と言えるのではと思う。少し長くなったので、この点はまた別の記事で論じてみたい。

戦略不全の論理―慢性的な低収益の病からどう抜け出すか

戦略不全の論理―慢性的な低収益の病からどう抜け出すか

 

 

戦略暴走

戦略暴走

 

 

JAL再生―高収益企業への転換

JAL再生―高収益企業への転換

 

 

稲盛和夫 最後の闘い―JAL再生にかけた経営者人生

稲盛和夫 最後の闘い―JAL再生にかけた経営者人生

 

 

今週のおすすめ本 - 2/7-14 「企業価値経営」「我が逃走」他

まだ一週間遅れですが、、2/7-14のおすすめ本です。

企業価値経営

企業価値経営

  • 作者: マッキンゼー・アンド・カンパニー,ティム・コラー,リチャード・ドッブス,ビル・ヒューイット,本田桂子,鈴木一功
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2012/08/31
  • メディア: 単行本
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 著名なマッキンゼー「企業価値評価」のダイジェスト版と言えるこの本。簡潔にエッセンスがまとまっていてとても良い。金融や会計の専門家でない現場のマネージャーには、頭の整理にとても役に立つ本と思う。

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 走ることについて書くことを通じて、村上春樹の人生や思想が語られるメモワール。素晴らしい作品で、一時はいつもカバンの中に入れていた。自由を求めること、個人として生きること、タフであること、など彼から学んだことは数知れない。

「ネットワーク経済」の法則―アトム型産業からビット型産業へ…変革期を生き抜く72の指針

「ネットワーク経済」の法則―アトム型産業からビット型産業へ…変革期を生き抜く72の指針

  • 作者: カールシャピロ,ハル・R.バリアン,Carl Shapiro,Hal R. Varian,千本倖生,宮本喜一
  • 出版社/メーカー: IDGコミュニケーションズ
  • 発売日: 1999/06
  • メディア: 単行本
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 既に古典だけれど、この本はやはり必読。ソフトウェアが席巻するいまのビジネスを本質的に理解するには最適。英語で読んだけどとてもわかり易かった。事例も豊富。著者のハル・ヴァリアンがGoogleで広告オークション設計に関わったのも有名。

戦略的思考の技術 ゲーム理論を実践する (中公新書)

戦略的思考の技術 ゲーム理論を実践する (中公新書)

 

 経済学を普段のビジネスに応用するのはなかなかハードルが高い。その点でゲーム理論の「実践」にフォーカスして分かりやすい事例とともに紐解いたこの本がやはり良書と思う。

決算書がスラスラわかる財務3表一体理解法 朝日新書

決算書がスラスラわかる財務3表一体理解法 朝日新書

 

 定番だけど、財務諸表を理解するための最初の一歩としてやはりこの本はよくできてると思う。同時に簿記も学ぶとさらに全体の構造をよく掴める。

決定版 英語シャドーイング

決定版 英語シャドーイング

 

 英語のシャドーイングは確かに効果あるように思うけど、なかなか良い参考書がない。いくつか試したなかだとこれが一番よいかも。CDに生徒が実際にシャドーイングする様子が入っててイメージ掴みやすい。

高収益事業の創り方(経営戦略の実戦(1))

高収益事業の創り方(経営戦略の実戦(1))

 

 「戦略不全の論理」の三品氏の日本の高収益企業のうち「成功」と「失敗」ケースの網羅的なケーススタディ分析。それぞれを貫く構造と法則も一般化されており、ちびちび読み進めていくと味わい深い。

我が逃走

我が逃走

 

 去年読んだ経営者本だとこれが一番面白かったかも。何かから逃げるために何かを作っていくというパラドクスがとっても「文学的」で、名著と思う。

進化と人間行動

進化と人間行動

 

 進化生物学を概観する教科書としてやはり良い本。進化論の基礎から、それが人間の文化や行動にどう影響しているかが、学説をきちんと踏まえて解説されているので、一度読んでおくと良いと思う。進化論まわりは竹内久美子のような極端な見解も多いので、、

リーダーシップとはなにかを教えてくれた部下のRさんのこと

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僕がマネージャーとしてまだまだ未熟だった頃、人事担当役員からこんな言葉をもらった。

「私はメンバーを自分の子供だと思ってるのよ」

その役員は非常にアグレッシブで、推進力のある人だったので、この言葉を聞いて意外な印象を持った。そして正直「子供だと思う、かあ」と実感がわかなかった。その当時自分に子供がいなかったこともあるけれど、それ以上にビジネスにおけるマネジメントでそういった(親子のような)関係を構築するのが最適解なのか、という疑問があったように思う。

マネージャーとしてどういったリーダーシップが最適なのか、これは本当に難しい問題で、単一の解があるわけではない。僕も毎日試行錯誤が続く。ただ、はじめてチームを持った時のメンバーだったRさんとの経験が、僕のリーダーシップへの理念みたいなものを作ってくれたと思う。

Rさんは、多様な「顔」を持った人だった。中高時代をアメリカで過ごし英語はネイティブレベル。米IT企業に新卒で入ると社内システム構築の部門でエンジニアとして経験を積んだ。身長は165cmくらいと低めで、目がぎょろっとしたオリエンタルな顔立ちで色白。性格は頑固。エンジニア気質とあわせて、一度甲高い声で話し始めると止まらなかった。

はっきり言うと、僕がマネージャーになったとき彼はうまくやれていなかった。SEとしての経験からレポーティングやシステムインフラ周りの仕事をやっていたが、とにかくコミュニケーションに難があった。仕事ぶりにエンジニアとしての緻密さはあるのだが、他のメンバーと協業しながら何かを前にすすめることがとにかく苦手だった。感情的なやりとりが多く見られ、彼を「異端視」する人も多かった。

そんな彼だったが、僕は彼が心のなかでどこか怯えているような印象を感じ取っていた。自分がどこに結びついているのかよくわからない不安な感じ。そこで、まずこんな感じの話をした。

「Rさん、うちの部門の仕事ってこうだよね、っていう狭い内輪の固定観念で仕事しちゃだめだよ。せっかくエンジニアとしての経験があるんだから、レポーティングを支えるシステム全体のアーキテクチャはどうなっているか、とか、レポーティングから論理的に導かれる経営的示唆はなにか、とか会社の外でも通用するレベルで仕事しよう」

「この部門にあと10年いることはないよね。だから、マネージャーが言うことじゃないかもしれないけど、Rさんには、この部門を「いま飛び出しても」どこでもやっていけるスキルをつけてほしい。部門内の「内輪の論理」じゃない、世間一般どこでも通用するスキルはなんなのかを一緒に考えようよ」

こういう話をしたら、彼の顔がはっきりと変わったのをよく覚えている。やはり彼は自分がどちらに向かえばいいのか悩んでいたのだ。

そこからの彼との仕事は楽しかった。本来は素直な性格だったので、こちらの厳しい要求にもエンジニアらしく緻密に応えようと奮闘してくれた。他のメンバーとのコミュニケーションにも積極的になった。一方で彼の弱点は、ふと気を抜いて責任のボールを手放してしまうところだった。なので、そういう兆候が見えた時は厳しく叱った。「外でも通用するプロになるって約束したよね」と。

年次評価のミーティングの時に彼にこの1年どうだったと聞いた。

「いままで、キャリアパスをどうすべきか、なんていう話をするマネージャーはいませんでした。なので、とても新鮮だったし、楽しくできました」

この言葉は僕がマネージャーになって以来、人からもらって一番嬉しかった言葉だ。僕自身も新米マネージャーで暗中模索だった時に、とにかくメンバーと向かい合うしかないな、と自分がこれだと思うやり方に素直に従ったのが良かったのだろう。

いま振り返ると、冒頭の人事役員の言葉は、自分の子供のようにメンバーを常に「庇護」のもとに置け、ということではなかったと気づく。子供はいつか親元を離れ、自立していく。マネージャーの役割も同じだろう。メンバーの側にいつも立ち、キャリアパスを一緒に考える。達成したことをきちんと評価して褒める。ただ、やるべきことをきちんとやれていない時は厳しく指導する。厳しい状況に追い込まれた時はギリギリまで自分でやれるよう見守りつつ、これ以上厳しいというところでは前面に出て守ってあげる。

こういうことを繰り返すうちに、メンバーは「自立」していく。これはまさに「子育て」が辿るプロセスと同じと言えるのではないだろうか。Rさんと共に歩んだ2年間のことを思い出しながら、これからも自分のメンバーの歩みを支え続けられればと思う。

ぼくの就活について '00年ロッキング・オン社新卒採用応募書類

ありがたいことに多くの方にブログを読んで頂いていて嬉しい限り。少し箸休め的に僕の就活について。

巡り巡っていまはIT産業で働いているけれど、僕の就活の時の第一希望は出版社だった。その中でも第一希望だったのがロッキング・オン社。洋楽人気も落ち込んでいるし、いまはフェスの「Rock In Japan」の主催者としてのほうが通りがいいかもしれない。

ただ、僕の高校生の時には、ちょうど米ではNirvana、英でもOasisなどをはじめインディー・ロックを代表するバンドがたくさん生まれており、雑誌としてのロッキング・オンも非常に勢いがあった。僕はどちらかというと「クロスビート」派だったのだけれど、ロッキング・オンは社員=編集者で、彼等の書く主観的ながら深くロックを掘り下げていく文章は魅力的で、高校時代は良く読んでいた。

で、就活の時に戻ると、ちょうどその年にロッキング・オンは新卒応募をかけていた。これはいいチャンスだと思い、他の企業とは段違いの真剣度で準備した(大宅壮一文庫に通って過去のバックナンバー徹底的に読み込んだ)。ロッキング・オンの選考はまさに「らしく」て毎回提出課題があって、小論を書く必要があった。今読むと青くさくて恥ずかしいけれど、かなり力を入れて書いたし、それぞれの文章は文体含めて結構気に入っているので以下公開したい。

 まず書類選考時の提出課題。サニーデイ・サービスは大学時代本当によく聴いていて、「サマーソルジャー」はいま聴いても心がざわざわする至高の名曲。文章はその年に発売されたアルバムから一曲選んで書いた。

課題作文「この一年、私にとってのこの1曲」

サニーディーサービスのアルバム「MUGEN」のサイン・オンについて書く。

 

曽我部が描く世界は、その多くが、一組の男の子と女の子の小さな物語だ。サイン・オンもそうだ。けれど、その世界には、二人の愛の高揚感ではなく、喪失感がこびりついている。例えばこんな一節だ。

 

高鳴る心は寄せては消える夢のよう
手にした次の瞬間にはなくなるものだから

 

このきわめて詩的で美しい部分が、これ以上ない美しいメロディを携えて流れたとき、ぼくの心は動く。それは、二人の愛が今ここにしか存在し得ず、過去も未来もないからだ。

 

しかし、その関係は、椎名林檎が描くような切迫感に溢れたものではない。二人の間にはどうしようもない喪失感が横たわっているのかもしれない。けれど、それは愛し合ったその最初から共有されたものだったのだ。

 

だから、その事実に対して、語り手である「ぼく」は否定も肯定もしない。愛は、夢のように記憶に定着しないまま失われてしまうかもしれない。だが、そんなことは折込済みなのだ。これをペシミスティックな表現と受け取ってはいけない。仮にそう捉えたならば、なぜこの楽曲がこうまでロマンティックなメロディとともにあるのかを見失う。

 

ここで恋愛がいつだって両義的であることを思い出そう。愛し合う二人は、その至福の時がいつまでも続かないことを知っている。また、だからこそ、一瞬のこころのざわめきが何よりも大切なのだということも。ならば、サイン・オンがこうまで魅惑的なアレンジと、静かにたゆたうコーラスとともにあるのか、という疑問は解けたと言えるだろう。

 

それは、恋愛の渦中にある者が感じるどうしようもない心の揺れを、きわめて忠実に写し取ったものなのだ。そして、その思いはいつもある種の哀しみとともにあるのだということを、曽我部は選び抜かれた簡潔な言葉で表した。音と言葉、そのどちらもが独立してあるのでなく、有機的に溶け合った素晴らしい一曲である。

書類選考を無事通過し1次選考時の課題。お前ほんとにロッキング・オン好きなんだなwという文章。この頃はナンバーガールの出現は本当に衝撃的で、米英インディー・ロック(特にメロディー&ノイズ)の歴史を一気に横断した感じの解釈に興奮したことを覚えている。

■ロッキングオンのいい点は?

1.対象への掘り下げが深く、またテーマ性を持った特集やインタビューが為されている点。例えば椎名林檎、降谷建志、ベック等批評性を強く持ったミュージシャンに対してのインタビューは、他誌に比べ、彼等の音楽に向かう姿勢を浮き上がらせると言う点で、際立って優れていた。


また、各誌で組まれる特集は、BUZZのダンスミュージックへの傾倒、JAPANのDRAGON ASH批評、ROCKINONのレイジ評など、その視点に賛否両論あるとしても、90年代後半の音楽を、ダイナミズムの復権、強度の獲得といった流れで捉えており、その姿勢は一貫している。

 

2.ヴィジュアル面の秀逸さ。中島英樹のアートディレクションは、非常にシンプルでありながら、写真の質感やテキストの配置など細かい点まで配慮が為されている。そのため各誌ともデザイン面でいい意味での統一感があり、また、スノッブさがなく手にとりやすいデザインとなっている。また、近年増加してきた単行本も、装丁を含めて、丁寧な、また美的に優れた物が多い。

 

3.編集者の個性が紙面に表れており、読者との関係性が濃密。編集者自らがテキストを書くことで、各誌とも何をしたいのか、どんな表現者を取り上げ、紹介し、論じていくのか、といった点が明確である。


また、各種コラムは同人誌的な部分を残す事に成功しており、読者からの反応を踏まえた上での雑誌作りは読み手にとって感情移入しやすく、それが各誌の勢いを支えている。例えば、BUZZ NIGHT、RISING SUN FES. の開催など読者が参加できるイベントへの積極的な展開も含めて、作り手と読者の共振の方向に進んでいる点が評価できる。

 

4.いい意味でのミーハ―精神。例えば、SIGHTでの執筆陣のように(稲葉振一郎、宮台真司など)各ジャンルで話題になっている個性的な人物を積極的に引っ張ってきて、自由に論じさせる。サブカルチャーからハイカルチャーまで編集者の判断によって対象が選ばれており、その手つきに躍動感が溢れている。対象への愛情が素直に出ている部分は雑誌を活性化させていると言える。

 

■ロッキングオンの問題点は?

1.雑誌点数の増加に伴う取材対象の重複。例えば、椎名林檎のように、ロッキングオン刊行のほぼ全ての雑誌でそのインタビューが行われるなど、取材対象の重複は読者に食傷感をもたらす可能性がある。JAPAN,BUZZ両誌で椎名林檎の音楽観、人生観が語られるなど、視点の違い、質問の違いはあれど、両誌に目を通す読者にとっては有効とはいえない。

 

2.洋楽シーンにおける主役の不在、多様化。ベック、オアシス、ケミカル、など大きな人気を誇るアーティストは存在するが、音楽の表現形態は完全に多様化しまた聞き手の嗜好も単一ではない状況で、ロックシーンを統一的に語ることが不可能になっている。そこでBUZZのような形のごった煮した雑誌が存在する訳だが、1でも述べたように、たとえばロッキングオンとの棲み分けなどの点で問題が残る。

 

■最近良かったCD,ライブ,本は?

CD ナンバーガール
私達が音楽を聞くのは、根本的に不可解な行為であるとはっきりと告げる名作だ。彼等の作る音は隙だらけだ。歌詞は意味不明で、聞いている限りでは具体的な像を全く結ばない。録音はラフで、ギターの音は軋んでいる。けれど、その音に触れた時こちらが自由な連想を駆け巡らせる事を可能にする音楽になっている。


ここに私はこのバンドの志の高さ、メジャーなバンドに見られないいさぎのよさを見る。多くのバンドが作る音はあくまで彼等の持つ衝動をそのまま音楽として表したものだ。悲しみは哀しげな音で。喜びは喜びの音共に。


ナンバーガールは違う。彼等は人間の感情なんていうものを統一的に音楽化できるなどとは思っていない。そうした複雑な感情は、一度全て混ぜ合わされ、雑然としたまま投げ出される。そうした出来た音は、聞き手に自由を与えている。彼等の音が多様な景色を呼び起こすのはそのためだ。彼等は安易な連帯を求めない代わりに、聞き手と作り手相互の自由が保障された音楽空間を作り上げている。

 

ライブ 電気グルーヴ
彼等のライブに行ったの初めてだったが、過去のアルバムからの曲をふんだんにちりばめた選曲は、昔からのファンにとって嬉しいものだった。新作が言葉と音の関係を考え尽くした上で生まれた、非常に力強いものだっただけに、ライブ全体を通して、その方向性が貫かれておりダンスミュージックの文脈より、ロックの文脈でその音を受け取った。


それはDJとして世界に進出した卓球の電気グルーヴの位置付けを示しており興味深かった。つまり、テクノというフィールドで自分の表現欲求を満たした上で、電気グルーヴという回路を通じて、音と言葉の関係を追求し、それをメジャーなフィールドで問うという昔から格闘してきた課題に対してしっかり向かい合っている部分を感じ取ることが出来たのだ。


一方で瀧の位置付けは難しい。彼の持つ笑いの要素、祝祭性は彼らにとってかかせないものだが、今回のライブではそれが少し浮き上がっているような気がした。音が分厚く、力強く鳴っている一方で、瀧の奮闘が少し空周りしているような面があったのだ。

 

本 柳田邦夫 「犠牲-サクリファイス」
もうだいぶ前に書かれた本だが、考えさせられる部分が多かった。著者の息子が、長い精神の病との戦いの後、自殺し脳死段階を経て死んでいった悲劇について書かれた本だ。特に、その息子が書いていた日記や小説が痛ましい。


それらはひどくナイーヴで内省的だ。しかしその表現は、誰もが体の深い底の部分に抱え込んでいる暗い闇の部分に触れており、簡単に目を反らす事が出来ない。殆どの人は自殺せず毎日を生きている訳だが、その陰の部分に真剣に向かい合ってしまう者もいるのだ。


脳死判定を受けた場面で、筆者の抱く思いは深い。脳死判断に関する部分などセンチメンタルを廃し、科学的な論拠を築くべきだと言う立花隆の著作に同意しつつ、息子が脳死となったその時、私に大切なのはそのセンチメンタルな部分だと彼は述べる。その感情が溢れ出した部分に私はただ打たれた。

 

■志望動機は?
ロッキングオンにおいて、編集者であることと読者である事は等価である。少なくともそうあるべきだ、と私は思ってきた。文句のある読者はそれをぶつける事が出来るし、それに対して編集者はうなだれる事も怒鳴り返す事も出来る。双方向のメディアが新しい、などと世間が騒ぐが、良質なメディアとは最初からそんな事は達成していると言えるし、ロッキングオンはそうした媒体で在り得ると考えている。


現在ロッキングオンが刊行している雑誌の扱うジャンルは多岐に渡り、其処に統一性を見出す事は難しくなっている。けれど、私はそれでもいいのではないかと考えている。ばらばらで、しかし力のある表現をそのままの形でカテゴリーに括らず受け止める。こうした態度を表明していく事が今までもこれからも求められ、それを自由に行う事が出来る場を考えた時、ロッキングオンが最もそうした力を持っていると思う。

 次は2次選考の課題作文。この時は2名の討論形式もあり、テーマは「宇多田ヒカルと降谷建志、今後のポップミュージックを担うのはどっちか?」という知らない人が聞いたら苦笑するだろう内容。ちょうどその頃西鉄バスジャック事件をはじめ17歳の犯罪がいくつか起きており、それがお題になっている。

課題:「17歳の犯罪。私が代弁する彼らの弁明」

「このよのすべてのせいめいたいがぼくのてきだっ」「今の僕はなんなのだろうか」

バスジャックの犯人の言葉だ。その幼い言葉使いの奥で、こんな呪いの言葉が響いてくる。俺の人生はめちゃくちゃだが、お前等のそのすました人生とやらも、ぐちゃぐちゃに腐っているのだ。すくすくと育って、自分が一番だと思って生きている能天気な奴等、おまえ達は奴隷のようだ。みんな死ね。

 

私は、彼らが何故殺人にまで至ってしまったのか、と答えの無い問題に頭を悩ませたくはない。共有できるのは、自分は何者なの?と問わなくてはやっていられない、そんな切実な問いかけだけだ。ここには、自分なんていう曖昧なものを実体化し、自己実現しなくてはいけないとプレッシャーをかけてくる何かがある。

 

例えば、学校で教師が求めるのは皆仲良く、自分を磨こう、といった、わかりやすい人間像だ。そんな場で少年は自分の存在の価値を問うてしまっている。同情はできる。こういう悩みは、思春期に必ずあることで、しかも少年はいじめられ、自分の価値を考える事を余儀なくされているのだから、と。

 

しかし、どうして私達はほんとうの自分、演技でない自分があるはずだと考えてしまうのか。そんな単一なのっぺりとした自己など存在せず、また到達も出来ないのはわかっているはずなのに。

 

「あなたには期待していないと親に言われ安心した。親が少年を休ませてあげていたら、事件は起きなかったのでは」高校生が新聞の取材に答えて言った言葉である。この認識は驚きだ。こういった子達はわかっているのだ。過剰に自分ってなんなのだろうと問い、それを学校や家庭で実践していく事の辛さを。これは、犯罪を犯した少年達への確かで、深い理解だ

 

この小文で私は、17歳の少年を犠牲者として描くつもりは毛頭ない。けれど彼等の残した幾つかの言葉は、私達の多くが陥っている自己実現願望の極点を示していると言ったら感傷的に過ぎるであろうか。

 3次選考もなんと通過してしまい、最終選考まで進んだ。約4000名の応募に対して、その年の内定は1名のみ。最終は3名まで絞られていた。結局残念ながら内定は得られなかったのだが、いまでもひとつひとつの場面を覚えている、とても印象深い就職活動だった。というか、渋谷陽一と何度も相対して話せただけでも嬉しかったです、すごく。以下が最終選考時に持参した文章。多分人生で一番気合入れて、推敲に推敲を重ねた文章と思う。

課題:「現在、世界の中で最大のニヒリズムは何か。また、それはどう乗り越えられるべきか」

現在世界で最大のニヒリズムは、同一の神話化した物語が延々と繰り返され、私達がそれを無批判に受け入れつづける事にある。私は本論で、ポップミュージック、特にロックの中に見られる、事象の神話化、そこへの失望、ニヒリズム、という構造を批判し、そこからの離脱の可能性を探ろうと思う。

 

ロックにおいてよく語られるのは、演奏者の内面が表出された音楽と深い関わりをもち、その連関がリアリティに結びつく、といった言説だ。ここで、個人的な経験を語ろう。ニルヴァーナの音楽は、カートコバーンの荒廃した内面が、強い表現衝動に転化し、それが軋むノイズと、違和感をぶちまけた歌詞として吐き出されたものだと評価されていた。私自身もカートの叩き付けた世界への違和感を、自分のそれと結びつけ、自己同一化を図る事で彼らの音に夢中になった。

 

その矢先、カートは自殺した。私は、前世代がイアン・カーティスに託したような神話が再び誕生した事をどこかで喜んでいたのかも知れない。そのおぞましさを知り、自らの希望やら絶望を安易にロックに託す価値観に絶望し、私はニヒリズムに陥った。

 

カートの死を経て、パールジャムやスマパン、ベックなどは「ニルヴァーナ以後」として語られた。しかし、そもそも「ニルヴァーナ以後」と問うこと自体ロック神話―ニヒリズムへの道程―の再生産ではないのか。確かに、エディ・ヴェダーが歩んだ歴史は、カートの死後どう苦悩を歌うのか、というテーマに彩られていたかもしれない。けれど、現在スマパンが解散し、またしてもロックの敗北が謳われるなかで、私達は歌い手の内面を探り、それがどこにも行き着かないことを再確認しつづけるのだろうか。それは、同じ物語の繰り返しに過ぎないにもかかわらず。

 

「『ロックにレボリューションは不可能である』それが日本のロックの見識である。だから無害でOKなのだ」(近田春夫 『考えるヒット』)

 

近田春夫がジュディマリの「くじら12号」を論じた中の言葉だ。彼は、ニヒリストなのではない。ただロックの神話化を疑い、「歌い手」の内面でなく、「うた」の内面を探っているだけなのだ。つまり、歌自体の構造や歌詞の響きに彼の批評は働く。そこには、わかりやすい物語はない。しかし、彼自身のリスナーとしての自前の言葉だけが、しっかりとある。私は、ここにニヒリズムを解体する一つの可能性を感じる。

 

つまり、私達に必要なのは、ロックを既成の文脈、物語の中で受け取る事を徹底的に拒否する事なのだ。フジロックがやたらとステージを増やし、ジャンル横断的なアーティストを中心に招聘するのには、可能性があるのだ。ジャンル内の枠組み、定まった聞き方等を拒否し、多様な音をそのまま受け取る事で、ロック村に自閉しない感覚を得ることが必要とされている。ヒップホップやテクノは、その可能性を示してくれたのではないか。神話の解体は、もっと推し進められなければならない。

 

 

愛と笑いの夜

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アメリカのウォルマートで「虫けら」扱いされた留学時代のこと

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その是非については色んな議論があるけれど、海外留学や海外長期滞在は若い頃に経験しておいたほうがいいと個人的には思う。なぜなら、自分の考えや地位は相対的なものに過ぎないんだ、というのを「骨身に沁みて」理解できるから。この体験は一つの国だけに住むことではなかなか得られない。

一方で、日本では依然として「海外」という言葉に特別な意味が付与されていて、海外体験を自尊心の源泉にして自慢気にそれを語る人や、そういう海外体験を振りかざす人に激しく反発する人がいたりする。

でも、僕の経験を踏まえれば、海外に長く住むということは「自慢できる」ような体験よりも、「惨めな」体験をすることの方がずっと多い。

僕は大学の交換留学制度を使って1年間アメリカ中西部の州立大学に留学した。英語はそれなりに勉強していたけれど、現地についてみて自分の英語力の無さに愕然とすることになる。

まず相手の話していることがわからない。こちらの言っていることは全く伝わらない。留学した州立大学は州内のトップ校だったので、プライドの高い学生が多く集まっており、中西部の保守的な気風と相まって、英語もまともにしゃべれない留学生を相手にしてくれるような学生は少なかった。こちらが支離滅裂な英語をしゃべると、侮蔑したような顔でこちらを見つめ、そのまま去っていかれたことも何度もあった。

さらにしんどかったのはウォルマートやマクドナルドのような店舗。ウォルマートのレジ打ちのおばさんの言っていることすらよく分からず、こちらが戸惑っていると、「英語もしゃべれないのか、こいつは」とまさに「虫けら」を見るように露骨に蔑んでくる。これはこたえた。

授業もしんどかった。毎回課される大量のリーディングアサインメントとレポート。毎晩深夜まで教科書を読み続けても、宿題の半分くらいしか終わらず絶望的な気持ちで朝を迎える。さらに授業もしんどい。うっかりディスカッション中心の少人数のクラスを取ってしまい、教授が話している内容が全くわからないまま質問され、「何の話でしたっけ?」と僕が答えて、周りの学生に(嘲笑混じりで)爆笑されるなんてこともあった。

唯一救いだったのは、学生寮のルームメイト(イタリア系アメリカ人)や隣室のインド系アメリカ人の学生はとてもフランクにこちらとコミュニケーションしてくれたこと。いま思えば何言っているかわからないひどい英語をしゃべっていただろうに、彼らは辛抱強く聞いてくれて、こちらの言いたいことを察してくれることも多かった。

ただ、こうした数少ない友人たちが助けてくれたけれど、なかなかうまくならない英会話、全く追いつかない勉強、こちらを蔑むアメリカ人の目、などしんどいことが重なり、僕は段々授業に行けなくなっていく。まず夜中まで勉強して朝起きるのがしんどくなり、授業を欠席しはじめる。それがさらに重荷になって、勉強もしんどくなり、夜中の間ずっとコンピュータールームであてどなくネットサーフィンをする毎日に。生活のリズムは完全に崩れ、朝まで起き続け、そのまま昼間はずっと部屋のベットで寝るような生活に落ち込んでいった。

そんな生活が続いた数週間後。部屋の電話がなった。大学の留学担当オフィスのディレクターからだった。

「あなたが授業を欠席し続けていると聞きました。このままだと日本に帰ってもらうしかありません。すぐオフィスに来てください」

問答無用の厳しい言い方で、僕は青ざめた。あの時の絶望的な気持ちはいまでもはっきり思い出せる。ここで強制帰国となってもおかしくなかったが、留学オフィスの別の女性が優しい人で、こちらのつらい状況に耳を傾けてくれたおかげで、なんとかその場で帰国という最悪の事態は避けることができた。

こんな情けない状況に陥り僕が部屋で放心状態でいると、ルームメイトが帰ってきた。自分に起きたことを彼に話をして、なんとか帰国はしないで済みそうだと言うと、彼は優しくこう言った。

「I'm always behind you, nori (おれはいつでもお前の味方だ、nori)」

この彼の言葉を思い出すといまでも泣けてくる。いろいろとこちらに問いかけたりしてきたりはせずに、彼はただこの一言だけを投げかけてくれた。この彼の励ましをきっかけに僕はなんとか立ち直り、毎日苦労の連続だったけれど、なんとか1年の留学予定を修了することができた。

僕の留学はこんな感じで本当にイケてなくて、惨めなことばかりだった。でも、そのおかげで、自分が持っていた過剰な自意識は中和されたし、島国がゆえに過剰にそこに意味付けしがちな「日本人」という存在を相対化するきっかけにもなったと思う。そして、惨めさに打ちひしがれていた僕を見捨てないでくれたルームメイトの記憶は、その後社会人になって海外の仕事で苦境に陥った時も、自分をギリギリで支えてくれた。

もちろん、せっかくの留学で僕みたいに惨めな経験をわざわざする必要はない。僕はただ準備不足で、しかも精神的にも未熟だっただけだ。ただ、海外での長期滞在は、その人にしかわからない様々な、大小の「物語」を生み出してくれる。そして、その「物語」の記憶はその後の人生で自分を暖めてくれたり、鼓舞してくれたりするものになるように思う。

 

遠い太鼓 (講談社文庫)

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やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

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なぜグローバル企業の経営陣は「定時退社」するのか? 

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グローバル企業の経営陣の退社は早い。突発的な事態がなければ、定時の6時にはまず帰る。なので、遅い時間にミーティングが入ったりすると、露骨に不機嫌になったりする。これはなぜだろうか?

意思決定の質が落ちてしまう

一番大きな理由は、コンディションが悪化すると「意思決定」の質が落ちる、ということを彼等がよく理解していることにある。グローバル経営においては、マネジメントすなわち意思決定する人、というのが明確に役割定義されていて、彼等の評価はその意思決定の質と成果によるところが大きい。

よって、マネジメント(マネージャー)を担うようになったら、きちんと毎日休息を取ってコンディションを整えるのも「仕事」である、との認識をみな持つようになる。例えば深夜まで仕事してしまうと、夜中に勢いで重大な決断を下したり、次の日に寝不足の頭で雑な意思決定をしたり、もしくはなかなか決められなかったり、ということが起こりうる。これを避けるために、できるだけ毎日「定時」に帰宅し、家族と夕食を取り、体と頭を休めつつ質の高い意思決定を継続的にできるようにコンディションを整えることが重要な「仕事」になってくるわけだ。

チームマネジメントの重要性

また、休息を取るのも仕事であると考えると、マネージャー自身が仕事を抱え込むことをせずに、適切にメンバーに振り分けることが必須となる。それには、メンバーの役割と業務内容、期待される成果をきちんと定義すること、自部門の仕事量がメンバーの許容量を越えないように計画すること、などのチームマネジメントが求められてくる。結果として、マネージャーの経営マネジメントのスキルも上がっていくことになる。

僕がマネージャーになりたての頃、自分で「作業者」としての仕事も抱えて死にそうになっていた時、隣の部署の大ベテランのマネージャーに言われたことがある。

「あなた目一杯でやりすぎ。それでどうやって突発事態への対応や新しい事への挑戦をするの?常に余裕持ってないマネージャーダメすぎ」

 こう言われた時は「そうは言うけどさ、仕事が降ってくるんだからしょうがないんだよ!」と正直思った。でも、その後、徐々にマネージャーとしての経験を積むうちに、「余裕」を持つことがなぜマネージャーにとって重要なのかが腹落ちするようになったのを覚えている。

長時間労働が生産性への意識を弱くする

かたや日本では依然として管理職、非管理職を問わず長時間労働は常態化している。この状況は、上記したように、コンディション悪化による意思決定の質を下げるリスク、の他にも弊害がある。それは、長時間労働を厭わないことが普通になると、業務の標準化や効率化、アウトソースの本質的なメリットや価値について理解できず、結果実行されないという点だ。

欧米グローバル企業では、ここ20年くらいで間接業務を標準化し、SAPに代表されるようなERPパッケージを導入する、もしくは、インドなどのオフショアに業務をアウトソースすることが一気に進んだ。一方で、日本の大企業はSAPなどの導入は一定程度進んだものの、業務の標準化やそれに伴う間接部門改革、さらにはオフショアへのアウトソースなどについては、国際標準からみると依然かなり遅れていると言わざるを得ない。

この遅れの理由はかなり多面的だが、一つの大きな要因は、日本企業に、仕事の課題はリソースの徹底的な投入によって解決するものだ、という文化がまだ根強いことがある。この文化は結果として従業員の長時間労働を招くし、現状の業務を分析し、そこから浮かび上がった課題を踏まえて業務標準化や効率化を図ることへのインセンティブを失わせる。

このことは、経営レベルで見ると、間接業務を中心としたオペレーションコストの最適化を難しくさせ、結果的に国際標準でみて日本の利益率が低いことの一つの要因になっている。さらに、低い利益水準は、大規模投資や次世代への技術投資を躊躇わせることにも繋がっている。

「長時間労働」の常態化は従業員の健康や生活に負の影響があるというのはみな分かっている。しかし、上記したように、「意思決定」や「業務改革」といった経営レベルの課題に直結していると意識している人は少ないだろう。この点の改善がないと日本の大企業がグローバル化していくには難しいと感じている。

労働時間の経済分析

労働時間の経済分析

 

 

今週のおすすめ本 - 1/30~2/6 「132億円集めたビジネスプラン」「職場の人間科学」他

1/30~2/6にツイッターで紹介した本のまとめです。経営者本多めですが、やはりどれも面白いです。

132億円集めたビジネスプラン 熱意とロジックをいかに伝えるか

132億円集めたビジネスプラン 熱意とロジックをいかに伝えるか

 

 ライフネット岩瀬氏のこの本はやはり良書で、起業だけでなく事業計画立てる上でも改めて頭の整理になる。ここまで具体的に資金調達から起業に向けての資料と経緯を書籍してくれたのはありがたい。「熱意とロジック」というのがポイント。

財務マネジメントの基本と原則―これ一冊で「使えるファイナンス」の真髄が身に付く

財務マネジメントの基本と原則―これ一冊で「使えるファイナンス」の真髄が身に付く

 

 未読ですがKindle 40% OFF中でお得。レビューを読む限り、実務で使いこなす上で有益な本のよう。

チームが機能するとはどういうことか ― 「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ

チームが機能するとはどういうことか ― 「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ

 

 こちらもKindleセール。グローバル経営においては、メンバー間のコラボレーションをどう促進していくかが鍵になってきており、その文脈で非常に面白そうな本。私も買いました。

スターバックス再生物語 つながりを育む経営

スターバックス再生物語 つながりを育む経営

  • 作者: ハワード・シュルツ,ジョアンヌ・ゴードン,月沢李歌子
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2011/04/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 経営者本はどれも面白い。その中でも、スターバックス創業者のハワード・シュルツがCEO退任から復帰、スタバの改革までを描いたこの本は特に好き。ビジョンを改めて練りこんで、情熱を持って現場を変えていく姿はこちらも熱くなってくる。

フェイスブック 若き天才の野望

フェイスブック 若き天才の野望

 

 この本も面白い。ザッカーバーグがFacebookで実現したかった初期衝動に忠実であり続けていることがよく描写されてる。投資家とのやり取りや人材の登用など起業における現実的な困難も丁寧に取材されていて、さすが米ジャーナリストという出来。

現代思想のパフォーマンス (光文社新書)

現代思想のパフォーマンス (光文社新書)

 

 小津安二郎の「お早う」にレヴィ・ストロースの思想を読み込み、「お早う」という日常の挨拶から関係性が穏やかに立ち上がる様を見事に論じた、内田樹氏の文章は本当に絶品なのでオススメ。

「どちらへ?」と問いかけるものは目的地を訪ねているのではない。そうではなく、これは「どこへ行かれるにせよ、あなたの歩みに天の恵みがありますように」という祝福のことばを贈るための修辞的な問いなのである。だからこの問いに対しては「祝福をありがとう」という感謝を込めて「ちょいと西銀座まで」と答えるだけで足りているのである。
「お早うのコミュニケーション」p274

職場の人間科学

職場の人間科学

 

 これは必読本。センサーを使ってコミュニケーションを定量化し、そのデータをもとにどういったコミュニケーションが組織の生産性を高めるか、という実践まで持っていくところが非常に面白い。対人コミュニケーションの重要性が強調されるとともに、チーム内のメンバー間のコラボレーションがいかに重要かを説得力をもって示している。

V字回復の経営―2年で会社を変えられますか (日経ビジネス人文庫)

V字回復の経営―2年で会社を変えられますか (日経ビジネス人文庫)

 

 日本で仕事する人ならすべての人が読むべき、と言いたくなる名著。この本については改めて長文できちんと論評したい。

渋谷ではたらく社長の告白〈新装版〉

渋谷ではたらく社長の告白〈新装版〉

 

 日本人経営者の書いた自伝でもやはりこれが一番好き。働き始めて以来折にふれてこの本を読んでいる気がする。自分の置かれた境遇や成長度合いによって様々な捉え方ができる。藤田氏は経営者ではめずらしく、きわめて「文学的」な文章を書く人と思う。

起業家 (幻冬舎文庫)

起業家 (幻冬舎文庫)

 

 藤田氏は「起業家」もやはり面白い。アメーバブログへの徹底的なのめり込みと取り組みで念願のメディア事業を立ち上げ自社を変革していく様子がリアルに描かれる。「孤独、憂鬱、怒り、それを3つ足してもはるかに上回る希望」の言葉も響く。

FAILING FAST マリッサ・メイヤーとヤフーの闘争 (角川書店単行本)

FAILING FAST マリッサ・メイヤーとヤフーの闘争 (角川書店単行本)

 

 Yahooが窮地のいま、メディア、ITなど各業界の著名な経営者がことごとく立て直しに失敗し、そしてマリッサ・メイヤーも苦戦し続けている、Yahoo経営苦難の歴史をうまくまとめたこの本はおすすめ。とても面白い。

 エディ・ジョーンズのコーチングはビジネスにおいても非常に参考になるので意識的に勉強している。マネジメント手法、サイエンスやデータの取り込み、選手とのコミュニケーション、など現代経営における大事な論点が詰まっている。

 

グローバルの新卒人気企業ランキングにみる、日本でのコンサルキャリア構築の難しさ

Universum Globalの「新卒」で働きたい会社ランキング(主要12カ国*1の合計20万人の学生対象)によると、Business分野の結果は以下のとおりになっている。Googleがやはり1位だが、2位 EY, 3位 PwC, 4位 KPMG, 5位 Deloitteと上位を会計系ファームが独占している。

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Source: http://money.cnn.com/pf/jobs/newgrads/2014/full-list/index.html

では、なぜこれらの会計系ファームが人気があるのだろうか。

まず言えるのは、キャリアパスの側面。グローバル大企業は、それぞれの役割がかなり標準化されており、フロントエンドであれば、プリセールスからポストセールス、マーケティング、テクニカルサポートなどについて標準的な役割定義が存在する。バックエンドでも同様に、ファイナンス、オペレーション、購買など各種機能で標準化が進んでいる。

会計系ファームは伝統的な監査だけでなくコンサルティング業務をさらに強化しているので、標準化されたグローバル大企業のバリューチェーンの上流から下流まで、事業戦略分析および構築、As-Is分析からTo-Beモデルの構築、業務プロセス整備、ITシステム導入など、ビジネスを展開していく上での「足腰」の部分に具体的に関わることができる。特にコンサルティングは高いフィーを取ってクライアントに向かい合うわけで、グローバル経営の「基本」を体に叩き込める点が新卒にとって魅力と言える。

実際のところ僕が在籍している会社(サンノゼ本社のソフトウェア企業)も、同僚には、現場のコンサルだけでなく、ファイナンスやオペレーション部門などの間接部門も含めて、会計系ファーム出身者がかなりの数いる。

彼等の多くは会計系ファームでマネージャークラスまで自分を現場で鍛え上げ(経験5-10年)、その後大手グローバル企業やスタートアップに転職して、各機能でCxOなどの上級管理職を目指す。また、その過程で一度コンサルティングファームに戻る場合もある。いずれにせよ上記したように各機能は標準化されているので、自分が築き上げてきたスキルが「ポータブル」である、というのが最大のポイント。このおかげで多様なキャリアパスが可能になっている。

翻って日本はどうか。この点ではきわめて不幸な状況と言える。日本のコンサル界隈でよく聞かれるのが「事業会社」という言葉。この言葉が使われる時、「コンサルファーム」は顧客側の「事業会社」とは違うモデルで運営しているようね、という含意がある。これは一面真実をついていて、日本の大企業は一般的に、個別企業に「特有の」オペレーションを構築することが競争優位の源泉、という認識を強く持っている。ここが上述した「グローバル」企業が常に標準化を志向するのと大きく異なる点。

この差異は経営における多様な論点も含むのだが、今話しているキャリアパスの文脈で言うと、これが日本におけるコンサルタントのキャリアパスを難しいものにしている。

コンサルティングファームはどこも規模が拡大しており、俗にいう「上が詰まっている」状況は各社共通。がゆえに、大手ファームでパートナーまで昇進できる確率はかなり下がっている。こういう環境では、ファームでマネージャークラスまで自分を鍛えあげて、その後大手グローバル企業やスタートアップでCxOを目指す、というのはキャリア構築の有力な解になるはず。

しかし上述したように、日本の大企業は個別企業ごとに経営モデルが異なるし、役割型の雇用でなく終身雇用前提でどうしても「生え抜き」重視の人事制度が構築されている。さらにスタートアップも、大企業と違って「実力主義」的ではあるが、オペレーションの標準化を志向しているところは少ない。こうなると、コンサルティングファーム出身者が自分が培ったスキルをそのまま発揮することが難しく、転職後に個別企業に最適できるかが成功要因になってしまう。これは成功の確率を下げるし、がゆえに、「事業会社への転職はねえ」というコンサルタントの嘆きが日本では多く聞かれることになる。

だいぶ長くなってしまったが、もう一つ重要なポイントは給与。Glassdoorを検索かければこの辺はすぐ分かる。DeloitteのManager in USだとBase Salaryの平均値は$134,942

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Source: https://www.glassdoor.com/Salary/Deloitte-Manager-Salaries-E2763_D_KO9,16.htm

同様にPwCのManagerのBase Salary平均は$128,773になっている。

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で、例えばハイテクの雄GoogleのFinance Managerで調べてみると、Base Salaryの平均は$158,259と非常に高い。

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Source: https://www.glassdoor.com/Salary/Google-Finance-Manager-Salaries-E9079_D_KO7,22.htm

他にも色々調べると面白いけど、いずれにせよ、コンサルファームとグローバル大手企業との給与レベルは変わらないし、いま勢いのあるハイテク企業ならば、コンサルファームより高い給与水準であることが一般的。このことは、上述したキャリアパス構築の観点と同様に非常に重要で、コンサルから外部の会社に転職することが「当たり前」の選択肢になりうる。

これに対して日本がどうなっているかは、みな知っているように、総合商社などを除き一般的な日本企業であれば課長クラスで1000万円の給与が標準。しかも40歳前後でその役職につくことが普通。これに対して、アクセンチュアや会計系ファームだと、入社5-10年目でマネージャークラスになり、その給与は1000-1300万円くらいが相場。この事実は、スキル面でのフィットと合わせて、「事業会社」にコンサルが転職していくことの大きな阻害要因になっていると言えよう。

だいぶ長くなってしまったが、オペレーションの標準化、という思想は、現代経営を考える上での一つの大きなテーマなので、そのことについては別記事で論じてみたい。

*1:the U.S., China, Japan, Germany, France, U.K.., Brazil, Russia, Italy, India, Canada and Australia

総合商社マンKさんのこと。そして「商社冬の時代」は巡るのか?

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Sさんのことについて書いたら、メーカーで海外営業をやっていた時のことを懐かしく思い出した。その頃の数少ない同世代で、楽しく一緒に仕事した総合商社のKさんについても書いてみたい。また、「総合商社の中の人」のトイアンナさんによるインタビューを読んで触発された部分も含めて、総合商社の強みとはなんなのか、という考察も少し。

Kさんは「川があったら泳いで渡る」総合商社の人で、僕より2歳年上。紙・パルプ産業の部署で、その頃は関連子会社に出向していた。僕のいた新規事業はある特殊な塗布技術の開発に成功し、それをプレミアム用途の紙として商品化していた。その販路として商社も活用しており、その流れでKさんと知り合った。

彼は、皆が幻想を抱いている「イケてる」商社マンからはかけ離れていた。まず見た目。身長は160センチ台で、やや小太り。童顔だけれど髪は少し薄め。「合コンでウェーイ」タイプとは程遠い。

でも(だから)、仕事はできた。なによりハングリーだったし、常に現場に足を運んで自分の目で確かめる。大学では中国語専攻で、留学したことはなかったのに流暢に中国語を使いこなした。人懐っこい笑顔で相手の懐にさっと入り込んで、ビジネスチャンスがあればさっと食いつくまさに「商人」だった。

彼と知り合った時、僕はちょうど2年目になったところで、部署で誰もきちんと担当していなかった中東やアジアの市場開拓や代理店管理をまかされたところだった(というか、人を寄せ集めた新規事業だったので「Tは英語話せるし、なんか汚いのもいけそうなんで中東・アジアやっといて」みたいな適当なノリだった)。

Kさんとは最初に会った時から意気投合した。同世代だったこともあるし、なにより彼の話の早さが好きだった。東南アジアで販路広げたいんですよね、と言ったら、すぐタイで複数の候補が上がり、次の週には確認に出張に飛ぶ。そんなリズムで話が進むのでこちらもすごくやりやすかった。

タイでのビジネスはうまく軌道に乗り、次は彼が最も得意とする中国市場を攻めることに。Kさんが他のビジネスで既に緊密な関係を築いている会社を紹介してくれた。その会社は広東省にあり、社長がとにかく強烈なおっさんだった。訪問するなり自慢の工場に連れていかれ、工場の紙裁断の設備を指差しながらおっさんが吠える。

「見ろ、この"最新鋭"の裁断機を!すごいだろ、これほんとすごいんだ。これ使ってバーと裁断加工して、ダーと売り切り。これがオレのやり方だ(きらん)」

こんな感じで、顔をこちらの近くまでぐーと近づけてまくし立ててくる。派手に唾が飛んでくるし勘弁してくれよと思っていたが、Kさんは常に冷静。おっさんはさらに続ける。

「K、おれのすごさはもう分かっただろ。もっともっと売ってやる。とにかく安くしてくれ。そうしたらばんばん売ってやるよ。中国全国にオレは販路あるんだよ!」

おっさんは会う度にこんな調子だったが、Kさんは相手の顔を立てつつ、こちらの要求もうまく織り込んで、いつもうまく交渉していた。全て中国語でやっていたわけで、今思い出しても見事だった。

その後、Sさんの話で書いたように、僕がやっていた新規事業は結局事業売却となり、僕は転職したので、仕事でのKさんとの関係はなくなった。それでも彼とはたまに飲みに行く間柄だった。ある時丸の内で飲んでいた時に彼が呟いたことを今でもよく覚えている。

「いやー、私が子会社で現場駆けずり回ってビジネス作って日々口銭稼いでるのにね、本体で現場も見ずに中南米のパルプ開発投資してるやつがばーんと儲けるわけですよ。でね、人事の評価もあっちの方が高い。やってられないですよ」

ちょうど資源高によって総合商社の利益水準が大きく拡大している時期だった。仲介事業から事業投資へ。総合商社はビジネスモデルの転換に見事に成功したとしてもてはやされ、就職先としての学生の人気もうなぎ登りだった。

Kさんは中国ビジネスを中心に以前と変わらず大きな成果をあげていたようだったが、なかなか希望の中国駐在もできていなかった。子会社への出向もかなり長くなり、彼の苛立ちはこちらにもよく伝わってきた。

それから数年が経ち、いろんな偶然と幸運が重なり僕の上海駐在が決まった。その数年前から、Kさんは、念願叶って広州に駐在していた。メールで連絡を取り合って、彼の上海出張の時に会う約束をした。

久々に会ったKさんは痩せており、前より格段に引き締まった印象だった。話を聞くと非常に順調のようで、紙パルプだけでなく、生活産業全体を統括する事業部長になっていた。日本の大手生活用品企業のサプライチェーンに深く入り込んで、中国の現地企業とかなり大きなビジネスを展開しているようだった。

「中国の駐在店全体で最年少の事業部長になれましてね。やっぱ中国は強いですよ。まだまだここで仕事したいですねー、日本帰りたくないですよ(笑)」

Kさんの昔から変わらない人懐っこい、無邪気な笑顔が見れて嬉しかった。16年3月期の決算で、Kさんの商社が「非資源」投資での成功から業界最高の純利益を達成しそう、という記事を見た時、まず思い出したのは彼のことだった。

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Kさんをはじめとして、メーカー時代に多くの総合商社の人と仕事をしたけれど、やはり優秀な人が多かった。彼等の強みは、情報、特に「非公開情報」の価値と活用の仕方を知り尽くしていることにある(俗に言うところの「インテリジェンス」)。

優れた商社マンは、昼夜問わず顧客や流通から、普段オープンにならない情報を巧みに引き出す。それをうまく使いながら「商流」を構築していく。僕の経験でも、彼等がこちらが欲しいけど辿り着けていない情報を絶妙に「出し入れ」しながら交渉を進めていくことにいつも感心していた。このスキルは優れた商社マンが共通して持っている資質だ。

資産価格の上昇で、「事業投資」ばかりがクローズアップされたし、商社自身もそこが強みだと大きく舵を切ったけど、「総合商社の中の人」が指摘したように、そこは本質的な総合商社の強みではないのではないか。その点を見誤ると今後また「冬の時代」が来る可能性もある。

さらに本質的な脅威は、バリューチェーンの情報がデジタル化によってオープン化したり、プラットフォーマーに集約されること。GEが狙っているのはここだし、もしこの方向でのデジタル化が成功をおさめてくると、じわじわと総合商社の存在を脅かすことになるだろうと考えている。「破壊的」プレイヤーの隣接業界からの侵攻、という現代経営のテーマは「総合商社」という世界でも特殊な産業においても注視すべきテーマになってきているのではないだろうか。

 

僕のメンターだったSさんのこと(注:加筆・修正したものを東洋経済オンラインに「48歳で課長になれなかった男の「以後の人生」 」のタイトルで掲載しました)

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【注】この記事を加筆・修正したものを、東洋経済オンラインに2018年2月14日「48歳で課長になれなかった男の「以後の人生」 」のタイトルで掲載しています。

toyokeizai.net

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僕のメンターだったおじさんの話をツイートしたら、結構反響があった。もう少し書いてみようと思う。その人はSさんとする。

僕が新卒で入社したのは創業100年を超える老舗のメーカーで、配属は新規事業の海外営業部だった。そこでメンターとしてついたのがSさん。普通メンターって若手~中堅くらいの人がなるのだろうけど、そのメーカーは日系企業のご多分にもれず40代以上が非常に多かったため、面倒見がよさそうなSさんが選ばれたのだと思う。彼はその時既に43歳で「課長代理」だった。

Sさんはドがつく真面目な人で、髪は七三にきっちり分けて、昭和なデザインのスーツを毎日きっちりと着てくる人だった。仕事ぶりも本当に真面目で、毎日遅くまでこつこつと営業資料を作っていた。はっきりいって不器用で、ムダなところまで丁寧な感じだったけどそれが長年培った彼のスタイルだった。

Sさんとはよく外回りに出かけた。外回りの時って本音の話が出てくるもの。彼がいつも言っていたのは、こんなボヤキだった。「Tくん、僕はねえ課長になりたいんだよ。なんとかなれないかなあ。」

おいおい新人に何言うんだよって感じだけど、これには背景がある。僕のいた新規事業は、日本企業ならではというか、各部署で疎まれてお払い箱になったり、あまり評価の高くない人達が集められていた。それでも、開発部門が画期的な技術をベースに競争力のある商品を生み出していたし、事業部長のそれにかける情熱はすごかったので、うまく成長軌道にのって売上は倍々ゲームの形で伸びていた。

そうすると、会社側も期待し始める。主流部門から人が異動し始めてきて、そこにはSさんの同期も数人いた。その同期はみな「課長」だった。

Sさんは、あからさまな野心を見せる人ではなかったけれど、これはさすがに悔しかったのだろうと思う。実際その海外事業は、彼が商社を粘り強くサポートすることで大きく伸びていた。Sさんは毎晩遅くまでその商社のために資料を作り、一緒に海外出張して商品を説明し、献身的に努力をしていたのだった。なのに、結局よその部署から来た同期は課長として彼の「上司」になっていた。

「課長になりたい」というボヤキはそんなところから来ていたのだと思う。でも、Sさんは、それで腐ったりはせずに、持ち前の真面目さ(不器用さ)で毎日仕事に向き合っていた。ひとつ今でも印象に残っているのは、彼が英語を勉強し始めた時のこと。

Sさんは英語を昔からこつこつ勉強していたようだったけれど、はっきりいって仕事で使うレベルからは程遠かった。僕は一年間アメリカに交換留学に行っていたので、彼に英語の資料チェックを頼まれることがあった。見てみると全部自分で書きなおしたほうが早いくらいだいぶひどかった。。

それで一念発起したSさん。英会話学校のジオスに通い始めた。ある日英会話学校どうですか、と聞いてみると、いつもの調子で頭をかきながら「いやー、Tくん、大変だよ。宿題が本当に多くてね。全部やるのに週末をつぶさなくちゃいけないんだよね。」と答えた。

これには本当に驚いた。英会話学校の宿題を完璧にこなして、きちんと通っている人なんて見たことなかったから。大抵の人は入学しても結局ちゃんと勉強せずにフェードアウトしていく。でも、Sさんはこの勉強を結局1年間続けて、ライティングだけでなく、スピーキングも格段にうまくなっていた。彼が海外のお客さんと、日本語訛りながら前より断然と流暢に英語を話す姿はちょっと感動的だった。

では、こんなSさんはその後課長になれただろうか?なれなかった。その新規事業は急速に成長したものの、競合も一気に参入し価格競争が激化。結局その関連事業と共に他社に売却されてしまった。Sさんもそのまま他部門へ異動になっていたが、彼はそこである決断を下す。25年近く勤めたそのメーカーを退職して、非上場の小さなメーカーに転職したのだ。昔同じ部門で上司だった人に誘われたらしかった。

もといたメーカーは曲がりなりにも大企業で、Sさんもその会社を愛していた。そこから、一般的には知られていない小さな会社に移ったと聞いて僕は正直心配した。実際のところ、新規事業の事業部長の定年を祝う会で久々に会ったSさんは、顔色も悪く本当に大変そうだった。「いやー、Tくん大変だよ。徹夜して資料作ることも多くてね。この歳できついよ。いやー大変だよ。」って、あの前と同じ真面目さのにじみ出る調子で話していた。

それから数年。Sさんが海外駐在が決まったと人づてに聞いた。アメリカのサンフランシスコらしく、待遇は事業部長とのこと。これを聞いて僕は震えた。Sさんは、いつも「課長になりたい」と言っていたと書いたけど、あともう一つ、「駐在したい」とも言っていた。新人だった僕は、正直言って、いい歳してなんでそんなこと言うんだろうと思っていた。でも、Sさんは、決して諦めずに、誠実に仕事をし続けて、英語も独学で学び続け、そして50歳を間近にしたところで長く勤めた大企業を辞めるというリスクも取った。その結果として、彼は自分が人生で欲しいと望んだものを、彼のやり方で掴みとったのだ。

去年SさんとFacebookで繋がった。メッセージを送るとすぐ返事があった。

「 Tくん、メッセージありがとうございます。そうなんです。今度の3月でカリフォルニア在住丸6年になります。今や日本より暮らしやすいと感じます。」
僕がシリコンバレーの会社に転職して本社がサンノゼにあると伝えると、こんな返信がまたすぐ返ってきた。
「それはそれは!すばらしい!シリコンバレーは私たちの生活圏内です。その節は是非私のメールに連絡ください。Tくんのことだから、そのうち本社に転勤になって、アメリカの永住権も取ったらいいよ。良い年になりそうですね!」
 真面目で、人のことをいつも気遣っていて、笑顔を絶やさないSさんには、サンフランシスコの太陽はよく似合う。彼のことを思い出すたびに、僕の人生はまだまだこれから楽しくできるよなと改めて思う。

経営における「コミュ力」を考える

このツイートがかなりバズった。「コミュ障」という言葉を出したせいで、「死ね」みたいなリツイート貰ったり楽しいことになりましたが、そこは本意ではなく、、

もともとは、今の会社のシニアマネージャーのコミュニケーション力の高さとそのチーム運営が、最近関心を持っている「コミュニケーションの科学」や「チーミングの科学」を実証しているようで面白いと思って書いたのだった。

このHBRの論文にあるように、組織内および組織外といかに有機的な繋がり(コミュニケーション)が構築できるかが、組織全体の生産性に優位に影響する、というのは経営において非常に重要なポイントになってきているように思う。なぜ重要か。

1点目はメンバー間のコミュニケーションが深まると、それぞれの組織に対する関与(エンゲージメント)も深まり、結果さらに繋がりも強まっていき、組織全体のパフォーマンスを高めていく、という好循環がある点。バンカメのコールセンターの事例はまさにそれで、休憩時間のコミュニケーションが全体の生産性向上に繋がったというのは面白い。ツイートもしたけど、タバコ部屋というのはまさにこういった機能を持っていると言える。

2点目はデジタル化の進展と情報量の大幅な増大というトレンドへの対応の文脈。経営において、その膨大な情報にいかに意味を見出し活用していくかが鍵になるのは衆目の一致するところ。一方で、その膨大な情報が結局専門家しか読み解けない「タコツボ」的なものだったり、その情報が経営陣やマネージャー、そして現場にとって「使える」形として流通しないと、いくら情報に高度な分析を施しても経営の改善には繋がらない(この点は「マネーボール」を題材に記事を書いたので参照のほど)。

そこで、必要となってくるのが「コミュニケーション」の存在。特に対人コミュニケーションが鍵となる。「職場の人間科学」でも、対人コミュニケーションは、メールなど最近主流のデジタルのコミュニケーションに比べて効果が高いことが再三強調されている。膨大な情報を高度に分析・モデル化し、それを経営の意思決定に使う。これは自分が「知的」であると考える人にとっては理想だろうけれど、実際の経営はそれだけではうまくいかない。対人コミュニケーションによって、相手の表情や反応を見ながら、情報の持つ経営上の洞察を丁寧に紐解いていく。「マネーボール」でデータサイエンティストのピートが、それぞれの選手にデータの持つ意味を丁寧に説明し、どうプレイすべきかを示唆していたようなコミュニケーションが求められるのだと思う。

職場の人間科学

職場の人間科学

 

 

マネーボール (字幕版)

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マネー・ボール〔完全版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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アメリカの法人税は日本より高い、はずなのに、、、

グローバル企業による「租税回避」が問題になっている。直近ではGoogleが2005年以降の税金滞納分1億3千万ポンドを追加納税することで英税務当局と合意した。少し前になるがスターバックスも同様の批判にさらされ、「自主的に」2000万ポンドを納税している。多国籍企業では、例えば欧州では、アイルランドの低い法人税率を利用したスキームを構築して実際の納税額を抑える(例えばアクセンチュアの登記上の本社はダブリンにある)というのは常套手段となってきたが、これに対してEUを中心に批判が高まり、上記の事例のように多国籍企業も対応せざるを得ない状況になってきている。

一方で、日本企業でこうした「節税」スキームを構築している企業は少ない印象がある。そのため日本企業からは日本の高い法人税率に対する不平があがり、法人税率引き下げが検討されている。

では、実際日本の法人税は高いのだろうか。その辺を改めて概観してみたい。

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出典: 財務省「国・地方合わせた法人税比較」

上の表は財務省が作成した法人税の国際比較。実効税率、つまり国・地方の税率を足し合わせたものを比較しており、日本はアメリカと並び40%近い税率だった。しかし、段階的に引き下げが行われており、平成27年度の改正では32%程度まで下がってきている。

一方で、戦略的に法人税を下げて投資を呼び込んでいるイギリスやシンガポールはそれぞれ20%, 17%と低い。このグラフにはないが、ダブリンのあるアイルランドは12.5%ときわめて低く、グローバル企業が租税回避のために統括子会社をダブリンに作っているのもむべなるかなというところ。

日本が法人税を引き下げてきているものの、やはり国際水準から見ても高い法人税率なのは事実。これは多くの人の実感とあう。一方で、アメリカが世界最高レベルの税率であることは意外なところ。そこで、法定の実効税率と実際企業が支払っている実効税率についてのデータを調べたところ、いいものを見つけた。

以下はPwCが2006年から2009年にかけて「フォーブス・グローバル2000」に含まれる上場企業を対象にした調査。日本の法定実効税率が39.54%に対し実際の税負担率も38.8%とわずか0.74%としか低くないのに対し、アメリカは法定実効税率39.1%に対し実際の税負担率は27.7%と11.4%も乖離がある。

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出典:坂本恒夫 日本企業の実効税率についての一考察  http://www.b.kobe-u.ac.jp/~keieizaimu/uploads/files/zenkokutaikai/38/21.pdf?wapr=548e3aff

では、アメリカの個別企業で見てみるとどうだろうか。上に引用したのと同じ小論から引くと、以下のようになる。

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出典:同上

これを見ると明らかなように、Google, Apple, MicrosoftというIT企業を代表する企業の実際の税負担率は、法定実効税率より10%以上低い。「うち、海外差」とあるのは、海外子会社の法定税率の差を示しており、これらの企業が海外子会社を低い法人税率の国に設立し、その子会社を利用した節税スキームを構築していることが伺える。

一方で、日本企業はどうだろうか。

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出典:同上

こちらは逆に法定実効税率と実際に支払った税負担率は大きく変わらない企業が多い。唯一、日本電算とHOYAは米企業と同様に実際の税率との差が大きく、これも海外子会社との法定税率の差を活用していることが伺える。

以上、世界の法人税の状況と、グローバル企業が海外子会社との税率の差を活用した節税スキームを構築しているのを見てきた。では、今後この問題はどうなっていくであろうか。欧州をはじめとして、グローバル企業に対する「租税回避」への締め付けは今後はもっと厳しくなっていくだろう。一方で、スターバックスの例のように節税自体が「違法」なわけではなく、どう規制していくかというのは難しい問題。

ただ、欧米においても「格差」の解消は大きな議論の的になっており、「分配」という観点から見ても、大きな利益を生み出しているグローバル企業が、「租税回避」スキームによって著しく低い税負担率で済ませることは、今後さらに難しくなるだろうと思う。